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消えない幸せ

初めて見た心理系の本は小学4年の時に、家の本棚にあったアドラー心理学。

そこから数年後に手に取った自己啓発本。

立ち寄った本屋さんで手に取ったある女性の本が印象だった。

笑えば幸せが来る、みたいなことが書いていたように思う。今はもうそういうのはよくある話しだが、その頃の私にはとても衝撃だった。

そして私は素直だったので、書いてあることをなんでもやってみた。やってみると結構良くなるもので、毎日が楽しいと感じたり、新しい友人に恵まれたり、お金が回りだしたり、モテてみたりして、なかなかのリア充的生活になったこともある。

しかし心の奥底にはたんまり影を残したまま、上っ面をきらきらさせようとしたわけなので、無理に上げたテンションは必ず下がる。

そこからしばらくはいいことあれば悪いことがある、のような浮き沈みがある人生になった。

ちゃんと心の影を認めたうえでの自己啓発ならば非常に有効だと思うけど、その時の私はまだそこまでは知らなかったから。


そうして長い月日が流れ、心のお勉強をちゃんとする時が来た。

自分がやっていたことは半分正解で半分扱い方が違ったな、と知った。


そんなこんなで(間を略しすぎ)今思うのは、自己を啓発する必要はないのだということ。

ちなみに自己啓発とは『自己をより高い段階へと上昇させようとする行為』

楽しいのならまぁいいのだけど、無理な力を自分に加えてこれをやってしまうと、後で反動が起こる。

だから人間は別に、より高みに行く必要もないし、今よりももっといい風に、と思わなくてもいいな、と思う。


ただ、今の自分を好きでいられればそれでいい。

ただ、今の自分が幸せだなと感じられたならそれでいい。


高みに行けば幸せがあるわけではないし、ここではないどこかに幸せがあるわけでもない。あるものもあるけれど、それを探し出したところで、今ここにある幸せが見えないならば、どこで何を見つけてもそれは本当に自分を満たすものにはならない。

明日のことを考える前に、今ここにいる自分がいい気持ちでいることを考えたいし、そうすることで不要な不安や心配に飲み込まれないで済む。

そんな延長に、幸せは続いているものだし。


今ここの幸せを感じるだけなら、お金もかからず、時間もさほどかからない。どこでも手軽に手に入れられるものだと思っている。

きれいなティーカップにおいしいお茶を淹れて、ちょっとした茶菓子があれば、そこにはひと時の幸せがある。

幸せって、それくらいささやかなものだ。

そしてそれはいつまでもなくならない。

物質や評価・条件は一夜で消えてなくなることもあるし、そこに囚われ過ぎればもう執着の鎖にぐるぐる巻きで、逆にどんどん苦しくなっていくこともある。上手に扱えていれば問題はないと思うけれど。


ごくありふれた普通のささやかな幸せは、自分が感じることさえ出来れば一生消えてなくならないものだし、それは長く続いていける。

生きてるだけで丸儲けみたいなもので、幸せのハードルを限りなく下げられた人は、本当に幸せ者だと思う。





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