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自分の心の正解を信じる時代。今の自分OK!!

色んな価値観があります。色んな考えがあります。

ブログなどを読んでいても様々な概念が書いてあり、真逆も中にはあります。

記事などを読むとそうかそうかと勉強になることもあれば、中身次第では自分がダメなんだと思う人もいると思います。


でも、ここで大切なのは、どれも正解なのだけどそれは書いている人にとっての正解であって、全員に当てはまるものではないということ。(私のも)

どれほどよさそうなことを書いていても、どれほどたくさんの人に支持されていても、自分に違和感があればそれは『自分にとっては不正解』とみなしてOK。


例えば『物が多い人は悲しみや寂しさが多い人だから、物を溜めないことが開運』という類の概念を見たことがある方も多いと思います。

それはそれで正解だし、色んな人の正解だったりするとは思うのでいいと思いますが、だったら物がないのがいいのかというとそうではなく、物がなさすぎるのも寂しい、悲しい気持ちが隠れているものです。

極端に走る人は悲しみや寂しさを溜めている傾向はあります。ほどほどが出来ない。それも悪くはありません。極端もOKです。

ただ結構極端すぎると自分がしんどくなったりするので、何事もバランスです。しんどくなければOKなんです。


悲しみや寂しさがたくさんあるって言うのも悪いことじゃない。誰だって生きる年数が多いほど色んなものを抱えている。浄化することでそれは解消出来たりするけれど、かといって浄化出来ている人が偉いわけではないですから。

それぞれの人生があって、その人のドラマがあって感情があって、どれも尊い。


お気に入りのものにたっくさん囲まれてルンルンしている人を私は知っています。1つ1つが可愛い。毎日色んなことに興味関心を向けて楽しそうにしています。

物があまりなくても、彩りがなく殺風景過ぎて、お家全体の雰囲気が冷ややかな印象の人も知っています。毎日物を増やさないことに目を向けて生きている人です。

双方が幸せかはその人にしかわかりませんが、物がない方がいい論理に当てはめると、そうとも言えないのが分かります。

どんな状態でも自分が幸せならいいと思います。


多分、ごみ屋敷的なものはNGだよって事なんだとは思いますが、ごみ屋敷に住んでる人が幸せじゃなく、運が悪いって誰が決めたん?とは思います。本当にね、外から見ても何もわかりゃしませんよ。


○○なのがいい、というのはある種の優生思想なんですよね。

優生思想も別にそう思いたい人はそう思っていてもいいと思いますよ。それは人に向けない、押し付けなければいい。自分1人で高みの見物していればいい事だと思います^^


良い悪いじゃなく、心地いいかどうかが大事なのだと思います。

自分が自分を否定しないことが一番です。

どんな状態であっても環境であっても、自分を否定しなければ運は良い状態でいられますし、今の私はこうだよね、いいんだよねって思うと心はホッとすると思います。


バランスは大切だと思います。

偏りが強くても幸福感って感じにくいので。

でもそれは『心の偏り』の話し。○○だから良い、○○じゃないといけないというのを戻すこと。

今の自分で全然いいじゃない、今の私OK!って言った時に、その心の偏りは戻ります。で、それが現実に現れて来るわけです。だから楽。良い悪いじゃなく、楽なんです。


こうしたら開運するよメソッドをやろうとすればするほど人生が辛くなったって人は、○○すると良いんだという『今ここにいる自分ではない理想になろうとする』自己否定が強くなったから。

○○するといい!というメソッドは、物質的なものばかりに目を向けてきた今までの時代に適応する系だと私は思っています。これからはそれぞれが心を大事にする時代だから、どんな状態でも『自分がOK!』と思えばOKです。

外の世界から内側の世界にシフトしたんだな、と。

インフルエンサー的な存在が提唱するものを良しとするのではなく、自分の心の正解を信じる時代。


その『心の偏り』を教えてくれるのが、目の前にいる相手なんです。周囲の他者なんです。

自分が、○○するといいと思い込んでいる部分を見せてくれます。

○○するといい、と私は思っているのに、その人は断固しないという行動をしてくれます。笑

だからどっちだっていいやと思うと、嫌な人や嫌なことは自然と消えます。


要するに、人生は何でもOK。どんな風に生きても、どんな生き方でも何でもいいんです(笑)


いつもサポートや温かいメッセージをありがとうございます✨