自分を大事にしてくれる人かどうか、自分が大事にしたいと思える人かどうかを見極めるためにコミュニケーションがある
涼しくなってきましたね。
今年、結構な感じで過去を清算してませんか?
その甲斐あって、もう繰り返さない自分になってきていますよね。
自覚・無自覚は様々ですが、過去に絶対怒らなかったところで怒ることが出来るようになったとか、過去にイライラしてたところで落ち着いて対処できるようになったとか、行動出来なかったことが出来たとか…すべて逆も然りです。
物事や行動、感情は『適切さ』が大切で、ネガティブっぽいことがいけないと思われがちですが、それも『適切にやる』ことが健全なんです。
過剰になると波動も乱れ、現実をかき乱す可能性大なので自分がしんどいのですが、適切であれば『健康管理』の1つだと私は思っています。
適切に動き、適切に休む。
そして適切に笑って楽しんで、適切に悲しんで怒る。
悲しい時に笑っていたり、楽しい時に楽しめなかったり。。
それらが適切ではない時、私たちはどこかで『我慢』をしていますし、自分も自分に『我慢』をさせています。
だから周りには『我慢』を強いて来る人が集まってきます。
適切に笑い、適切に楽しみ、適切に悲しみ、適切に怒る。
その場その場で感じたことに嘘をつかない。
本当は、穏便になど必要ないのですよね。
穏便に=私さえ我慢すればいい、ですから。
自分を一番我慢させちゃならないんです。
自分にムチ打っちゃいけないんです。
自分を愛して、優しく、大事に、丁寧に、包むように接してあげないといけないんですもの。
人間は我慢強いと私は思います。優しいひとほどとても我慢強い。
私は自己犠牲は悪だとは思っていません。自分を犠牲にしていることは分かっている、だけどそれでもあえてその選択をしたい。その選択をしてまでも守りたい、大切にしたいものがある。そうならばそれは『愛のひとつ』なのだと思うから。
だけど、犠牲にならないでみんなが幸せになれる方法もあります。
そのために『コミュニケーション』がある。
そのために『話し合う』という行動が人には与えられているのです。
そのために、表情・涙・言葉など、私たちには『伝えるツール』を与えられている。
コミュニケーションは自分を大事にしてくれる人を探すためのものでもあるんだと私は思っています。
大事にしてくれる人はあなたを我慢させたり、無理を強いたりしません。
自己犠牲は悪ではないと言いました、でもね。。
そもそも自分が自己犠牲をしちゃってても、大事に思っている人に対しては相手がさせないんですよ。
君が犠牲になっちゃダメなんだよ、と最適な方法を一緒に考えてくれるんです。
あなたが犠牲になってたら私が楽だわ、あなたがいるからよかったわ、なんて言わないんです。それはあてにしてるって事なんです、あてにする=利用する、です。
人と関わることが苦手な人もいると思いますし、もう疲れたなって思う人もいると思います。自分が楽なくらいの関わりでいいと思うんです。
でもこの世界にはあなたを本当に大切にしてくれる人がいます。今いる周囲の人もそうだし、これから出会う人もコミュニケーションを取ってみて『自分を大事にしてくれる人』かどうか見極めてください。
上記にも書きましたが
あなたを大事にしてくれる人は、あなたを犠牲になんてしない。あなたを助けることがあっても、あなたをあてにしたりなんかしないです。あなたを守ろうとするし、あなたの心がホッとする言葉をかけてくれます。
仲良くするためだけにコミュニケーションがあるわけじゃない。
『自分を大事にしてくれる人かどうか、自分が大事にしたいと思える人かどうかを見極めるため』
でもあるんです^^
いつもサポートや温かいメッセージをありがとうございます✨