抵抗をやめるとうまく流れ出す。

目の前に何か出来事が現われた時、無意識にジャッジメントをしている。

これは良い、これは悪い、これは好き、これは嫌い。

そこに湧き出る想いはとても大切で、感じ尽くすことで過去の遺物も一緒に洗い流される。

しかしどの出来事にも何の意味もない。意図はあっても意味はない。意味がるとしたらそれは大いなる存在の思し召した意味ではなく、自分の中の我が意味をつけているだけ。自分の好みで。


だからすべての出来事・物事はただ起こってきているだけであって、右から左に受け流すだけでいいものたちなのだ。

そこに強い感情を持たなくても、それを何とかしようと自分で動かさなくても、頭であれやこれやと考えを張り巡らさなくても。

ただスッと受け流していく、それだけでいつの間にかそこにはもういない。


それらはしばらく、こちらの様子をうかがっていることもあるだろう。しかし自分が相手にしなければそれらは諦めて、去る。


なんでもそうなのだ。人も、動物も、物事も出来事も、おばけも、問題と思えるようなことも。すべての存在が誰かに相手をして欲しいのだろう。

相手にしたいものにはエネルギーを使い、相手にしたくないものにはエネルギーを注がなければいい。


おばけはいる、と意図した時点でおばけは存在する。

そこに問題がある、と意図した時点で問題は存在し、さらに大きく膨らんでいく。問題はそもそも、無いとしてもいい。問題がなくても問題はないし問題にはならない。


自分の世界に何を存在させたいかは、自分の意図次第なのだ。

見なければいい。逃げていい。避けてもいい。

どうしてもそうできないものがあるならば、そこから心の距離を離していく。物理的にそこに存在する『それ』は、自分が無いものとすれば無いのだから。


今の意図が未来を創る。今、選択するものが未来を創り出す。

目の前に現れたものはもうすでに過去のものなのだ。

それに対して必死になっても、それらは変わらないし、解決もしない。


すべての抵抗をやめると、物事はうまく流れ出す。

物事をせき止めているのは他でもない、自分自身の思考だから。




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