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心の自粛を終える時。

心の状態が外側の現実世界を映し出している。

これはもうマスト事項。

目の前にいる相手だって、自分の何かを映し出している。

強い感情が動くなら、自分の中にある何かが叫んでいる。


今いる場所、状況が自分にとって思わしくないならば、それは自分の内側にある声を聴き逃している。

~しなければならない、~するべき。

という頭の声に、惑わされている。

頭の声が現実のものとなっているだけ。




コロナが起きて気がついたことがある。

世の中の空気は

『気を引き締めて、迷惑をかけないように自粛しよう』

『緊張感をもって、しっかりとお達しを守る事が善』

『恐怖、不安』

そういう空気が強かったし、まだまだある。そしてそれをやってない人は悪になっている。


ウイルスは手洗いうがい、少しの配慮は必要だと思う。

ただ、こういう自粛を強いる感覚や恐怖・不安が強い人は、コロナ前からそれらを持っていたんじゃないかな。

それがコロナで爆発しただけなのかもしれない。

不安感・恐怖感が今、強い人は、コロナが起きる前からそういう声がいつも心にあったのでは。


元々、不安感や見えないものへの恐怖感が少ないと感じる人はそれほど怖がっていない感じがある。



もちろん、命が最優先であることは間違いないし、何よりも健康は大事。

そういうことは鉄板的に考えて、そこからもう一歩考えていくと、恐怖や不安に振り回されている側面もなくはないとも思う。


ホリエモンが言っていることもあながち間違いではないな、と思う。ただ、言い方が過激なだけで。


誰にも迷惑をかけないように、みんなと同じ行動をして、いつも緊張感をもって、安心しちゃいけない、組織や上の言いつけは必ず守る事、努力・忍耐・我慢、死に物狂いで必死になることが幸せになる方法、それこそが善の行動である。

という、元々私たちが持っていた刷り込みとコロナが相まって、振り回されている、そんな気もする。


何があっても安心しながら生きていいんだし、いつも気を張って、緊張感を持ってなくていい、身を粉にして働かなくていい。

ゆっくりのんびり、人生を安心して渡って行ってもいいんだから。

いつも不安でいなくても、怖いことは起こらない、大丈夫。


もっと、心に風を通して、自由に、好きなように生きていいと思う。誰の言葉にも惑わされず、誰の言うことも聞かなくていい、自分がすべてを決めていいんだ。もっと大空にはばたくように生きていい。

もう、心を自粛させてきたことを、現実の自粛とリンクさせなくてもいいのだと思う。


新しい生活様式をうまく取り入れながら、共存という形で安心して生活してもいいのだと思う。

手洗いうがいはもちろん忘れずに。






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