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何も求めないし探さないし頑張らないし努力しない。今ここにいる自分がマルっとOKな人生のはじまり。

ただ生きていればいいなと最近は思います。

幸せになる、幸せを探す、というよりも、生きていることが幸せという状態で生きることが幸せなのだろうと感じます。

昔はそんなことは思わなかったです。


でも何かを求めて、何かを探して、頑張って努力して、今ここいる自分じゃない自分になろうとして、、、を何度も繰り返し、年を重ねまくった結果

今はもう何も求めないし探さないし頑張らないし努力しない。今ここにいる自分がマルっとOK!だと思うようになりました。


あがきたい時はあがいてもいいし、あがく必要もあるなと思います。

でもさんざんあがいたら、かなり疲れるものです。

疲れた時に、そっと後ろからぽんぽんを肩を叩かれる。

悟りさんに。笑


そうじゃなかったってやっと気づいたね、ここではない場所に幸せなんてなかったでしょう?みたいな。


悟りやら、解脱やら中庸やらは生きる上で知ってたら楽。

でも、何より大事なのは『ここにいる自分の感情』なんだと知ったらさらに楽。

理論上、思考上のあれこれよりも、自分の感情に勝るものはこの世界には何もないんだな、と。


何も求めないし探さないし頑張らないし努力しない。今ここにいる自分がマルっとOK!

は、自分のことを、自分の感情をゆるし、大事にするということ。

どうにかしよう、今ここにいる自分じゃない自分になるためにはどうすればいいか、とあがき続けるのは、自分を否定して、自分の感情をゆるさず、大事にしないことにも繋がる。


いやいや、今ここにいる自分でいいじゃーないか、と。

ある日を境に思うようになった。

多分、どうにかしよう、どうすればいいか、とあがけるうちはまだエネルギーがあるのだとも思う。


今はある意味、いい意味でエネルギーがなくなったんだと思う。じたばたするエネルギーが。無駄に使うエネルギーがないというか、心がホッとしたり楽しいと思えることにしか使えないようになったんだ。


人間、年を重ねると丸くなる。それはじたばたしてみて、じたばたでは解決しない部分に気付くことで、脱力した状態がそれなんだなとつくづく思っている。

ただ、そこで終わりでもない。

そこからどんな花が咲くだろう。

華麗で棘のあるような、人に見せるためにあるような花ではなく、誰に見せるでもなく自分が精いっぱい生きたい、生きて咲くこと自体を喜びとするような、健気な花が咲くのだろうと感じている。

人生は進むにつれて味が出る。人生は40,50、60、70からだという人がたくさんいる。それがだんだんわかってきた。

30代くらいまではまだまだ人生の準備期間なのだな、と。


私だってまだまだその入り口で、それがちょっと見えてきた若輩者。

この先、どんな人生が待っているのか分からない。だけどこの入口に立った感想は、のんびりゆっくり歩く人生の始まりなのだ、ということ。


のんびり、ゆっくり、自分のペースで、気任せに。

何も求めないし探さないし頑張らないし努力しない。今ここにいる自分がマルっとOKな人生が、ある程度年を重ねたそれぞれのポイントではじまるのだと知った。




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