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幸せだと思えなくてもいい、でもいつも最善。

私たちは完ぺきな存在で足りずも何もない。
すべて「ある」


完ぺきではない=完ぺきになるには何かを得ないといけない

ということは

得ないといけないと思っているものを
ずっと追い求める現実になるということです。


得ないといけないと思っている時
私たちはそれを「問題」として捉えていますが

問題=解決するべきもの

という認識があるので

ずっと解決し続ける現実が続くということ。


私たちはいつも完ぺきな状態です。

だから解決すべきものはないし
そもそも問題もありません。

すべてがある。


「ある」と思えば「ある」という現実がやってきます。
「ない」と思えば「ない」という現実がやってきます。

私たちはすべてがOKな存在。
良いも悪いもないし、ジャッジする必要はないのですよね。

だから、完ぺきなんです。
いついかなる時も、どんな自分でも完ぺき。

完ぺきは充足。
充足には充足の現実がやってきます。


「ある」に目を向けましょう、とスピリチュアルなどでよく言われますが
簡単なようで、生活の中では結構難しいものです。

だって生きてるし、ご飯食べられてるし、元気だし
「ある」よね、私には「ある」よねって思っても

ないものはないやないかーい!
と思う自分も出てくるものです(笑)

でもそれがいたって普通の感覚かな、と。
人間だもの。


だから私は「最善」という言葉を使っています。

最善は「ある」と同じこと。
でもニュアンスが変わり、自分に溶け込みやすかったのです。


生きていると、今の状態を幸せ!とは思えない時があります。

そんな中でも前向きに捉え、踏ん張れる力はあるものですが
でも、そういう時に幸せだなーと思える意識は持とうとすれば持てますが
それはなかなか上級者向けだと思います。

悲しい気持ちをポジティブで抑え込んでしまうことにもなりかねません。


だから「最善」
これが今の自分にとって必要だし
善きことなんだな、と。

良い、ではなく
善い、です。


実際、苦しい時って
魂の道から外れているから苦しいので

それが起こって気づきを得て
自分を軌道修正するから魂の道に戻れるわけです。

「善きこと」でしかありません。


でも苦しいことが起こって
魂の道に修正される時はかなりきついし、辛いものです。

幸せだ、すべて「ある」と思うのが難易度高い場合は
「最善」なのだなと私は思っています。

最善には最善が引き寄せられます。

そして起こってくることは
その時は「ただの苦しい出来事」にしか思えませんが
必ず後々何かに繋がっているものですから🤗


いつもサポートや温かいメッセージをありがとうございます✨