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すべてが完ぺきだから幸せだという事ではない、を思春期に学んでいる。

幸せなら嫌なことが起こらないか。そうではない。

幸せだからといって、毎日何もなく嫌なことが起こらないということではないし、完ぺきな毎日なわけではない。

幸せであっても色んなことが起こる。嫌なことだってあるし、不快なことだってある。


幸せってなんだっけ、なのだと思うけど、幸せってとても不完全な状態なのだと思う。その不完全な状態にOKでいて、楽しめたり、楽しめなくてもひとまずやり過ごしながら、自分の好きなことをしている状態。

何も起こらない、何も嫌な事が起こらない毎日を過ごせることが幸せなんじゃないんだよね。

嫌なことはなるべく少ない方がいいけれど。


幸せを探している時って、完ぺきさを求めていたと記憶している。

でも完ぺきじゃない状態でいいって思えた時に幸せのかけらに触れられる。そしてその状態を楽しめて、完ぺきじゃない中にある小さな心地よさを見つけられた時に、あ~、幸せだなぁって心から思えたような気がする。


思春期を育てていると毎日本当に色んなことがある。

娘とはけんかして、言い合うことだってある。お互いに無意識に我慢しているだろうから、たまにドカンとどっちかが爆発もする。似たもの同士ってことだろうし、ペースが全然違う。学び深い相手。

反抗期の子に話しかけるのって、正直めんどくさい時ある。だから敬語で伝える時がある。いつも通りだと心の距離が近すぎて、いらいらするんだと思うから。他人の距離感くらいで丁寧に接すると結構違う。娘がどうこうじゃなくて、私が踏み込み過ぎてるから腹立つときもあるんだろうしね。


息子とはけんかがない。波長が合う。考えていることがお互いに分かるし、いらっとすることがない。言う事を聞くってことじゃなくて、話しが通じる。


親子だってそういうこともあって当然だもの。

どっちが良くてどっちが悪いとか、どっちが好きでどっちが嫌いもない。ただ、そういう子ってだけ。そういう私ってだけ。

しっちゃかめっちゃかな毎日でも、それでもその中には小さな心地よさと楽しさと喜びがある。それを見つけると幸せでいられる。

どんな状態でも、まるで苦しみの中にいるようにはたからは見えたとしても、幸せなんだ。


それはただ、心の在り方なのだと思う。

今日から学校が始まる。

なるべく良い気分で送ってあげたいし私もそれがいいので、丁寧語で送り出しました。思春期と共に毎日、めんどくささとムカつきの中で生きています。

この世界に『問題』はない。

どんな時でも幸せなのです。




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