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ポンコツ時代の話

前回予告した通り、ポンコツ時代の話をしましょう。
初めて飲食店で働いたのは確か24歳の頃。木更津にあるカフェでした。私より3つ上のオーナー(男性)がひとりで切り盛りする小さなカフェ。お客として行ったときに気に入り、レジ横に貼ってあった「スタッフ募集」の文字を見て、働かせて欲しいとお願いしました。そこからが地獄の始まりだったわけですが…。

初めての飲食店勤務、それ以前に初めての接客業でした。学生時代は塾講師のアルバイトをしていたので、子どもたちの相手しかしていません。なので最初の頃は、「いらっしゃいませ」を言うことすら恥ずかしかったのを覚えています。
そこは16席程の小さなお店でした。広さは今の吉住よりも小さいお店です。右も左もわからない私は、毎日ミスを連発。オーダーは間違えるわ、食器は割るわ、お会計は間違えるわと、今思い出しても本当に酷いアルバイトでした。よく私を雇い続けてくれたなぁと今でも不思議なくらいです。

ランチが終わって一段落すると、「稲毛、さっきのあの状況はどうするべきだったと思う?」と毎日オーナーとの反省タイム。毎日何かしらやらかしていた私ですから、地獄の反省タイムです。私が「◯◯するべきだったと思います。」と答えると、「いやそうじゃない、そこは◯◯するべきだったんだよ。」とだいたいダメ出しが入る。これが毎日続くわけです。毎日地獄でした。こんなに酷いアルバイトなのに、「じゃあまた明日宜しく~」てな感じで言われるから、「ああ、明日も来なきゃいけないのか…」と、毎日お店に行くのが辛くなっていきました。

ある日、私がお客様を怒らせて、そのお客様が帰ってしまったこともありました。その事件の日ではない、私が何かやらかした時にオーナーに言われた忘れられない言葉があります。

「俺がどんなに美味しい物を作っても、お前の接客ひとつで全て台無しになるんだよ。お前はこの店の顔なんだということを忘れるな。」

チーン。(言われた直後の私)

って今だから笑って話せるけど、たぶん当時は泣きながら帰った気がする(笑)
でもね、毎日怒られながらも不思議と辞めたいとは思わなかったんです。オーナーが忍耐強く私を鍛え上げてくれたからでしょう。それに私も応えたいと思った。そうやって毎日過ごしていくうちに少しずつ慣れてきて、オーダーを間違えることもなくなり、食器も割らなくなり、仕事に楽しさを感じるようになりました。結局4年くらいここではお世話になりました。

接客とはなにか、サービスとはなにか。このお店で徹底的に叩き込まれました。自分の頭で考えて動くということを教えてもらいました。一日を振り返り、何が良かったのか、何が悪かったのか。あの時どうするべきだったのか。何よりも沢山失敗させてもらえたこと。失敗から学ぶことが沢山あること。それがこの店で得た大きな財産です。

私が店を始めるとオーナーに報告した時は、一番喜んでくれたと同時に、「俺がこの世界に引きずり込んじゃったからなぁ…」と半分嬉しいような申し訳ないような感じでした。店をやるということの苦しさをよく知っているからこその言葉だったんだと思います。時々オーナーが、「飲食ってのは資格も学歴いらない、誰でもできる仕事なんだよ。親に大学まで卒業させてもらってやるような職業じゃない。」と言っていた意味の深さが、今になってようやくわかるようになりました。確かにそうかもしれないけど、後悔はしていません。あ、両親はこんなはずじゃなかったと思ってるかもしれないけどね~(笑)

もうひとつ、オーナーから教えてもらった大切なこと。
「お客様にわざわざ "ありがとう" や "すみません"  を言わせるな。先回りして、お客様が居心地よく過ごせる空間を作ることが最高のサービスなんだ。」
うまく伝わらないかもしれないけど、やってあげた感を出してはいけないということですね。いいお店って、なんだかわからないけど居心地がいい。その居心地の良さをお客様に見えないように作ることが大切なんだと。今の私に出来てるかって言ったら、まだまだなんだけど、いつも心掛けている大切なことのひとつです。

ポンコツ時代、まだまだ書ききれないくらいポンコツだったのですが、少しは伝わったかな。このポンコツ時代があったからこそ、今の私があります。

さあ次回はポンコツ時代から、珈琲の世界へ。これもあるお店との出会いがきっかけでした。
今回も最後までお付き合いいただきどうもありがとうございました。

今日の見出しの写真は宿吉住にいた野良猫たち。右下には今は亡き飼い犬テツヤ(2代目)。宿吉住の歴代の犬たちは、なぜか襲名制でした。

季節の喫茶 吉住  稲毛ひろ美


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