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なぜ千葉から横浜へ?

2018年の夏に宿を閉めて、2020年の春に横浜で喫茶店をオープンしました。宿吉住はビジネス旅館でした。母の実家である宿吉住があったのは、千葉県市原市姉ヶ崎。このあたりは工場地帯です。この工場に勤めている方たちをお相手にしていました。朝晩の食事の提供、掃除などが主な業務内容。お客様は会社単位で宿泊されていたので、社員寮みたいな感じです。私が小さな頃、いや、産まれた頃から私のことをずっと知っているお客様もいました。私にとって、おばあちゃん家=宿吉住でした。美味しいご飯と、犬が沢山いたのと、おばあちゃんがスーパーでお菓子を好きなだけ買ってくれるので、私はこのおばあちゃん家=宿吉住が大好きでした。他の兄弟がどう思っていたかはわからないけど。(私には2つ上に姉と、2つ下に弟がいます)

宿時代の写真がすぐ見つけられなくて、なぜか母の写真。2014年とはとても思えない、背景の昭和感。

母玲子と今は亡き愛犬ジョン(2014年冬)
おばあちゃんは本当は自分の娘に宿を継がせたかった。
しかし母はそれが嫌で嫁に出たらしい。

宿を閉めることになった大きな理由は、私の体力気力が続かなかったから。まだ20代の私には背負うものが多すぎたのかもしれません。今振り返ると、本当に生意気な小娘だったと思います。それでもとにかく当時の私は必死でした。頑張り方が違ったんだと思います。反省することが沢山あります。おばあちゃんに対して優しくなれない時は、幼い頃に沢山可愛がってくれたおばあちゃんとの思い出を思い出し、一旦心を静めてました(笑)そうやって思い出に支えられていました。考えてみたら、おばあちゃんと一緒に仕事をするって、普通じゃあまり経験できることではないですよね。腹が立つことも沢山あったけど、今はいい経験をさせてもらったと感じています。

「新館」と呼んでた宿舎。新館だけどかなり古い。

宿を閉めてから、ずっと好きだった珈琲のお店をやりたくて、物件を探しました。もちろん宿のあった場所でも考えたけど、ちょっとそこでは違う気がして、袖ヶ浦木更津辺りで探していました。でもなかなかいいご縁がなく、諦めかけていた頃、父が「横浜の石川町あたりで店やるのも面白いかもな~」と何気ない会話の中で言ったことを思い出したのです。(この頃から父は石川町で呑み歩くのが趣味みたいになっていました)千葉を出てみるのもアリかもしれない。そう思って石川町で物件を探しはじめました。そこからはトントン拍子に話が進み、今の場所にお店をオープンすることになりました。

縁もゆかりもない土地にやってきてしまって、3年経った今、ようやく街にも仕事にも慣れてきました。全然苦しいけどね、それでも毎日楽しいです。それも皆様のおかげ。いつもありがとうございます。心より感謝を。今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。次回は何にしようかな~。

季節の喫茶 吉住
稲毛ひろ美


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