見出し画像

指が足りなくなるまえに

つい最近、過去に対バンしたバンドのベースの訃報が届いた。

めちゃくちゃ仲良かったわけでもないし、2、3回同じライブハウスでライブをして、その時に話すくらいでしかなかった。

お互いに違う形の表現をしはじめて長かったし、連絡なんて取ってなかった。4年前に、今付き合ってる人と結婚するつもりだから、その時は写真撮ってねって冗談混じりに言われたのが最後に顔を見たときだった。

それなのに、なぜか彼女の声も顔も、ベースラインも嫌になるくらい鮮明に思い出せてしまう。早く結婚してくれてたらよかったのに。一枚でもいいから残したかった。

画像1

ライブハウスでの音楽と関わりはじめてから15年経つ。関わり方は演者から裏方に回ったけど。

この15年間で、日常生活ではきっと交わることはなかったであろうたくさんの方々と出会ってきた。
そして、彼女が居なくなってしまったことで、二度と会うことができない人が、ついに両手でも足りないようになってしまった。

原因が病気であるのか自ら絶ったのかはどうでもよくて、居なくなってしまったその人たちの作品だけが残されている。二度と新作を聴くことも見ることもない彼らの表現。

アーティストが何らかの理由で活動を終えてしまうと、よくもっと〇〇しておけばよかったという言葉を聴くが、それを繰り返すのはどうしてなんだろう。
永遠なんてないし、生物だからいつかは終わる。そんなことは誰もが分かっているはずなのに。

答えは案外シンプルなのかもしれない。

"自分の人生だから"

画像2

僕が撮らせていただいているアーティストさんも、モデルさんも、もちろん僕自身もいつ居なくなるかなんてわからない。

だからこそ、優先順位を決めて今残したいものを残していこうと思う。
やりたくもない撮影依頼を仕方なく撮るということは今後もしない。

それが自分の人生の最後の写真にはなってほしくないし、どうせなら、最後の一枚はとんでもなく最高の写真であってほしい。

あなたの貴重な時間を、お金を僕の写真に託してくれてありがとう。もらった分以上のものを返していく。

そう思いながら、撮影をしている毎日である。

画像3

p.s. 僕がこの世からいなくなったら、そっちであなたが大泣きするくらいに最高な写真を撮ってあげるよ。

だからそのときまで、またね。


気が向いたらサポートお願いします。 機材費やらフィルム代やら写真活動に使わせていただきます。 https://suzuri.jp/HiromaruPhoto