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徒然

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観劇の感想、つぶやき、つらつらと思うことなど
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『個について』について

もう言うまでもない、できれば言いたくもない、昨今の状況である。 通り魔事件などの容疑者が動機として「むしゃくしゃして」と言う、今までなんじゃそりゃ?と思っていたが、今はわかる。まさに今多くの人が、いや少なくともわたしは「むしゃくしゃして」いる。だからといって「誰でもよかった」とか言いつつ、自分より弱いものだけを器用に選り出して傷つけようとかは一切思わないが。 「村八分」「自警団」「隣組」「誹謗中傷のビラ」「同調圧力」…… 今って、2020年だよな。ほんとうだろうか。 日本って

寂しくて悲しい・その2

※愚痴です。グダグダです。が、誰も何も責めてはいません。が、ちゃんとしてる人は読まない方がいいかも。 言うまでもない昨今の状況である。 わたしは演劇が好きで、心身を削る日々の労働の対価として受け取る報酬の一部を月に数本の観劇に費やしている、そうして精神の栄養を得ている。 言うまでもない昨今の状況により、わたしの精神の栄養源である演劇の公演中止・延期が相次いでいる。 どうすることもできない。それぞれの団体が下した中止・延期の判断を、わたしは尊重こそすれ糾弾することなどできない

刻むということ

3年前の1月に、乳がんの手術をした。 一般健診のついでに受けたマンモグラフィーで、左右の乳房に石灰化が見られたため要精密検査となり、専門の病院を受診したところ、ごく初期の乳がんであることがわかった。 誤解がないように言っておくと、石灰化があるからといって必ずしもがん、というわけではない。わたしの場合は、左右ともに石灰化があったのだが、左側のみ「凝集性」?正確な用語は忘れたけれど、なんだか寄り集まってる感じよ、という状態で、それがちょっと気になると検査したらがんが見つかった、と

今年からだった

今日は大晦日。我が家は、特別なことをしなくなって久しい。 2人家族の年越しなんてそんなもんさ。男子高校生と2人きりで今さら何をしろと言うのだ。奴はスマホに目も耳も心も奪われたまま、早々に年越し蕎麦を食べ終えて、夜中には友達と初詣に行くのだ。早々に子離れが完了したわたしはわたしで、いつもよりアルコール度数高めのレモンサワーですっかり出来上がっている。 自分が子どもの頃は、親たちが必死になって掃除をし買い出しをしご馳走を作り紅白を見て初詣に行っていた。年越しとはそういうものだとい

寂しくて悲しい

いつもならそういう時に詩が出来たり短歌が出来たりする。そう、私小説ならぬ私詩、私短歌というわけ。じゃ「公」小説なんてものがあるのか?完全なフィクション、という意味だとしても、何かを作り出す人とその作品がその人の個人的体験や感情からまったくかけ離れているなんてことはあり得ない話だ。で、今回はどうして詩も短歌も出来ないのか、というと、それは寂しさと悲しさの度合いがあんまりにもあんまりだから、という至って単純な理由なのだった。 noteユーザー諸氏の主な年齢層がどの程度なのか知らな

『清掃する女』を観た

※画像はイメージです。今回の舞台とは関係ありません。 台風が近づいているという9月8日の夜、時折、出の悪いシャワーのように雨がぱらつく中、早稲田どらま館へ向かった。 出演の安藤朋子さんは、かの有名な沈黙劇『水の駅』(太田省吾作)で少女役を演じた方。なんていかにも知った風だが、わたしはそんなことも全く知らずに昨年7月、ドイツ同時代戯曲リーディングという企画で初めて拝見し、その存在感に惹きつけられた。今年2月、現在所属されているARICAの『孤島』を観てやっぱりすごいと感嘆した

どくさい

良い独裁 悪い独裁 ちゃぶ台返しでいちどきにどかーんとひっくり返ったら それはそれは「あーすっきり」だけどそれも「誰かやってくれないかな」 半径1メートルしか認識しなくていいように それはそれは周到に教育されているからどうしたってさあ 「じゃどうすればいいんだ」「対案を出せ」 は?それを仕事にしてる人に仰れw お殿様が人格者ならラッキー 頭の上から降ってくる鶴のひと声「右向け右!」 いや右は一度で充分っしょ 何を言うか 信号のない道を渡るには 右を見て左を見てもう一度右を見る

赤い扉

小中学生の頃、わたしの周囲では『なかよし』派と『りぼん』派が熾烈な覇権争いを日々繰り広げはしていなかったが、分かれてはいた。『少女コミック』派『マーガレット』派もいたが少数派だったように記憶している。 わたしは『りぼん』派だった。「ときめきトゥナイト」がヴァンパイア風味の学園ラブコメからヒロイック・ファンタジーへと舵を切り始めていた。「有閑倶楽部」「お父さんは心配性」「いるかちゃんヨロシク」……ぎゃー!懐かしい!!のちに少数派というより斜に構えたナイーヴおねえさん好みであった

シェイクスピアの掌

カクシンハン『薔薇戦争』(@シアター風姿花伝)を観てきた。 『リチャード三世』『ヘンリー六世』の2本立て構成。 演劇を知らない人にはこれがどういうことかおわかりいただけないと思う。なんて、偉そうに言うわたしは演劇を観る人だが、どういうことかわかっていなかった。2本別々に観るよりちょっとお安い通し券で観られる、お得お得!としか思っていなかった。一般的な上演時間はものにもよるが2時間程度なので、4時間ちょっとかなー♪なんて暢気に劇場へ向かうと。 約7時間半でした♪ だけど本来『

個について

唯一無二になりたくない 替えのきく人間でいいっていうかむしろそうでありたい かけがえのないとかオンリーワンとかどうでもいい 「わたしなんて…」って拗ねているようでその実「わたし!わたし!ここ!ここ!」っていう欲求こそが全ての不幸の元じゃないのか こんなこと言うとじゃあお前は全体主義でいいのかと言われるかも知れない でも実はこの「わたし!わたし!」が全体主義を生んでいるのじゃないか どんなに願っても叶わない認められない可哀想な「わたし!わたし!」が、我も彼も道連れに「お前も!お

総量について

晴れ女で通ってきた。 天気に左右されるようなイベントは悉く晴れたし、天気予報もろくに見ずに傘を持たずに出かけても、タイミング良く止み間だったり、屋内にいて外に出る頃には晴れたり。 「傘なんていらないんじゃね笑?」と嘯いたこともあった。 しかし、そんな高慢さが天の怒り、いや傘の怒りを買ったのか、ここ数年は雨に遭うことが多い。それも、いざ出掛けようというタイミングで降り出すとか、自転車に乗っている時に降られてずぶ濡れになるとか。 人が生まれてから死ぬまでの事柄はすべてあらかじめ定