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今こそ「モモ」が読まれる理由

コロナウイルスの感染拡大における政府の政策に対する不満はありますが、結局は自分にできることをやるしかありません。


コロナウイルスの恐ろしいところは、人やモノの移動が制限されることではありません。私たちが思考する時間を奪われしまっていることにあります。


危機をあおるようなニュースや誰かの意見をコピーするだけの情報などが増え続け、知らぬ間に自分の頭で考えたり、物事の真偽を疑ったり、新しいチャレンジにエネルギーを割く時間が奪われているように思います。


「モモ」を書いたミヒャエル・エンデは、


”希望とは、物事がそうであるから持つものではなく、物事がそうであるにもかかわらず、持つ精神なのです。”

と言っています。


「コロナウイルスが蔓延しているから希望を持ちましょう。明けない夜はないのだから。」と言うだけでは、現実は変わりません。それは自分がやらない、できないための言い訳に過ぎません。結果を出している方は、コロナウイルスによって厳しい状況が続く”にも関わらず”、新しい何かを生み出すための努力をしています。その努力する意志と態度を希望と呼ぶのではないでしょうか。


仕事には苦しみしかありません。


しかし、その苦しみとは、思い通りにならないことを嘆くためにあるのではなく、自分のやるべきことが見えた時に過去の自己を超えていくためにあるのです。自分が語る言葉の限界を超える度に、新しい世界が開けます。そこにかすかな希望が見えてきます。仕事とは、人生をかけて社会と自己を統合させる一大プロジェクトなのです。


「モモ」の副題は、”時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語”です。コロナウイルスが時間どろぼうなのかもしれません。コロナ禍の今、読むべき一冊です。

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