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あの日から11年。


お疲れ様です!
サトウです!!!



唐突ですが、僕の生まれは東北です。

マジの田舎で遊ぶ場所も限られて、あの子が好きとか言っちゃうと次の日には全員知ってるぐらい田舎です笑


少ないけど凄く濃い大切な友人が出来たのが
僕の人生における財産その物です。


ちなみに紹介すると、
・はじめの一歩に影響されて東京でボクサーになった友達
・語尾に「すけ」というなぞ単語を付ける友達
・奥手かと思ったら裏でガンガン女の子とやり取りしてる友達

とか笑

話がそれたので戻しますね!!!!


東日本大震災から明日で11年経ちます。
当時僕は小学校5年生で体育の授業終わりで更衣室で着替えてました。


今でも忘れません。
強い揺れが来て、着替え中だった僕は
急いでパンツ一丁で音楽室に逃げ込み、
女の子とか先生に見られてる中必死で机の下に隠れました。


「うぉ~揺れてる!すげぇ!!!!」


と幼少期からトラブルメーカー気質だった僕ははしゃいでました笑
(もし戻れるなら、ボコボコに殴って叱ってやりたい)



揺れが収まったその後は、

・理科の実験中に揺れて薬品やフラスコなどが飛散する
・卒業式の予行練習中止
・急いで帰宅するようにアナウンスが流れる


ここでも僕は
「家かえってイナイレやろう!それかモンハンやろう!」
って言ってました。(もう笑えない。)


6年生の車に乗せてもらって帰宅。
すると、祖母が「大丈夫だが?」と一言。


何言ってんだ?大丈夫に決まってんじゃん。
直感的に僕はそう思いました。


ただ、ニュースを見て衝撃を受けました。


・地震で家が崩壊
・津波に人が飲み込まれる
・そして福島原発による事故
・崩れ落ち泣き叫ぶ遺族の方々


「人間が世の中を作り発展させたけど、結局自然には勝てないんだな」


幼いながらにそう感じたのを今でも覚えています。


家族、恋人、友達 が 突然いなくなる。

考えたことある?


考えたくも無いよね、
人間痛いところは目を背けたいからね。




でも最近考えさせられる出来事があって、
今付き合ってる彼女が


「サトウさんが死んでいなくなった夢見た。悲しかった。」

とLINEで送ってきました。




正直、喰らいました。



悲しいと思われるくらいこの子の人生に影響を与えている


と実感しました。



世の為人の為一生懸命働いたても、
死ぬときは一瞬なんだよね。




去年の10月に東京で出会った同い年の女の子が
東北出身で津波で両親を亡くした過去を僕に言ってきた。


「最後に言われた言葉が、あなたは生きなさいだった。私は何も出来なかった、だから私は目の前で倒れている人がいたら、助ける強さが欲しい。だから勉強する!」


くしゃくしゃの笑顔で僕にそう言ってきた。
僕は何故か涙が止まらなかった、
カフェでしかも日中に人目をはばからず号泣してしまった。



その日から自分の中で全てがバグり始めて
伝えられる事は伝えようと考えるようになってました。


ありがとう
あいしてる


まずはこの2つから伝えてみるといいです。



限られた時間しか過ごせないから。
今という時間大切にな。



また、次の記事で会おう。



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