見出し画像

「当たり前」にありがとう

1ヶ月ぶりの更新。
文字にしたい出来事や感情がたくさんあって上手くまとめられなかったが、そうしているうちに古い出来事から忘れてしまいそうなので華金とは程遠い週初め、「ドブ月」(今思いついた)に文章を書き始めている。

そういえば母の日も過ぎてました。
ご希望はバナナでした。

入社して約1ヶ月半が過ぎたが、まだまだ研修の日々は続いている。
事業の理解やビジネスで必要とされる知識・思考力について、毎日お金を貰いながら学んでいる。特に知識に関しては大学で軽く触れた、いや触れずにチラ見したぐらいのIT関連の学びが非常に厄介だ。資格試験と同レベルの問題を、資格取得と同じく6割以上で合格、不合格の場合はレポートを書かなければいけないとしているのだが、驚くべきはその期間。通常2~3ヶ月かけて学ぶのだが、研修ではなんと3週間で合格レベルまで持っていかなければならない。学生時代、先生や職員の方が「大人になっても日々勉強だよ」と言っていたことはどうやら脅しではなく本当らしい。
周りから聞こえる会話や雰囲気から察するに、合格してやろう、1点でも高く取ろうと高いモチベーションで臨んでいる人は少ないのでそこまで出来ていなくても大丈夫なのかもしれないが、だからこそここで頑張れば周りや上司に「自分」を売り込むチャンスとして全力は尽くしたい。なんて書き始めた頃は思っていたのだが、今日テストがあり、6割に届かなかった。まだまだ努力が足りないみたいなので頑張ります。

混乱しすぎて写真も横たわってます


社会人になってから生活リズムや接する人に変化が起こり、今まで当たり前だと思っていたことが実はそうでも無いことに気が付く。大学までは当たり前のように平日でも飲んだり遊んだりしていた事も、今ではなくなってしまった。アルバイトでお客様と直接会話をして感謝されることも、無い。
よく人は失って始めて失ったものの大切さを知る、なんて言うが、当たり前だと思っていたことも、当たり前じゃなくなってから、ありがたみを知るのかもしれない。

自分にとっての当たり前は、誰かにとってはとても貴重で、羨ましく、輝いて見えるのだろうか。

そう考えると、もっと今の環境に感謝しなければならないと身が引き締まる。
悩みを聞いてくれる人、ボケにツッコミを入れてくれる人、失敗してもリベンジの機会を与えてくれる人。決して当たり前でなく、感謝の気持ちを持って過ごせるようにしなければと感じた5月だった。

人よりも「当たり前」が当たり前のようにできない人、難しい人もいるかもしれない。しかし困難にぶつかった人はその数だけ、当たり前のことがどれだけ幸せなことか理解出来る人だと思う。
人よりも多くの部分で幸福を見つけ、感じることが出来る人になれるよう、たくさんの「当たり前」に「ありがとう」と言える人間になりたい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?