2020.05.28

・レニー・クラヴィッツなど聴いていてへんな感じ。なぜ今、とくに思い入れもないのに。

・ここ何日かで10歳くらい歳をとった感じがする。いろいろ見た。何も、こうだと言い切れるものはないし、いつまでも、どこまでいっても何もわからない。ながくながく、過去を、誰かの生きるべき時間を生きることを自分の役目として気付きはじめているみたいな心。一歩でもゆらりと踏み込む位置を間違えると、何かがぜんぶだめになる。『移民たち』、立て続けに人の名前が出てきて、ひとつひとつの人生が枯葉のように重なる、触れ合うところはヒリヒリして。本の裏がわにつづいてきた行列、とじこめられ折り重なっているたくさんの者たちのさびしさ、かなしみ。ときには、そしてかんたんに、互いに見知らぬ者のかなしみを引き取って、ぐちゃぐちゃに絡まって。一区切りまでまだ長い。

ずっと後ろのほうに、頭の上に十字のチェックが入れてある子どもが見えるでしょう、それがあなたのお母さん、ローザよ。
劇場に入り、玄関の扉をつぎつぎに開けていくと林に出る。あるときは角を曲がった小路が薄暗くだんだんと細くなって、これは罠にはまったかと思いつつ、破れかぶれに最後の角を曲がれば、忽然として見晴台のごとき場所に出てひろびろとした眺望が開ける。裸の小山をどこまでも登るうち木陰の谷間に出、屋敷の門をくぐれば街路におり、バザールの雑踏をぶらつくうちにいつか墓碑に囲まれている。なぜなら死とはかくなるもの、コンスタンチノープルの墓地は生のただなかにあるのだ。ここでは逝く人ひとりひとりのために糸杉を植えるという。みっしりとしたその枝間にトルコ鳩が巣を営す。夜は鳩もグルグルという嘆きをやめ、死者と静安をわかつ。しじまのおとずれとともに蝙蝠があらわれ、いっさんに路を急ぐ。コスモは、蝙蝠の鳴く声がすべて聞こえてしまうとこぼす。

W・G・ゼーバルト 鈴木仁子 訳『移民たち 四つの長い物語』(白水社)

・夜、餃子を買いに外に出たら涼しくてすごい気持ちよかった。久しぶりに月を見た。なにかぜんぶなつかしい感じ。

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