2020.05.04

うっすら感じていながら口にしてはいけないような気がしていたけれど、経済という枠組み、価値観、文化をおいておくと(おいておけないけれど、おいておくとして)、今の状況のほうが自分は、また自分の子も自分とはべつのいろんな意味合いで、だいぶ生きやすいような気がする。いろいろ不便なため自分が思い当たるどんな手をつかっても自分の生活をまもれればOK、という状況。人との物理的な距離があり、当人に具体的に聞かないと何が当人にとっていい状態なのかが分からない、相手のことが分からない、ということを自覚している状況。同じ出来事を共有しながら自分の価値観を外からとやかく言われない状況、言う気にならない状況。

島薗進『ともに悲嘆を生きる グリーフケアの歴史と文化』。図書館で借りたままの本で、予約したのはずっと前だった。そのときから時間が流れていて、自分が時間をとおしてひとつづきにここにいることにふしぎな感じがする。手間ひまをかけた葬儀や、季節と関わりをもたせたイベントや、内面的な喪の作業は、悲嘆をその場にいる生者で分かち合い認めて、生きていくためにあるという。その分かち合い方は生者がそのときにおかれている文化、状況によって変わってきた。

すべてのことはたぶんそうだけど、今、自分が強制的に参加させられている出来事のなかで、自分に関わりのある理不尽なひとつひとつの死が日々すぐ隣で刻まれているという体感がみんなつよい時期だと思う。その体感がつよいはずなのにふわふわしている感じがする。見え方が変わりそれに慣れていないだけで実は何も変わっていない感じもする。大きな災害というイベントを長期間何らかのかたちで体験しながら、加害と被害、優しさと残酷さが分けられず混じり合った状態(このこと自体は常態で、この体感がつよい状態)にあって、同時にどんどん喪の時間が流れていて、そのなかに無防備に身をおいていること。今も今までも、きっと自分たちのなかでいろいろな防衛機能がはたらいているのだろう、無意識下でいろんなことが起こっているのだろう。この期間がどう明けるのか、どういう段階にいくのか、漠然とした不安のようなものを感じながら。

「悼む」には「祈る」とは違う、罪悪感が関わっているという。「社会的に正当性が認められていない悲嘆」という言葉にもはっとした。たとば水子やエイズにまつわる悲嘆のあり方、その他たくさん。そこに追い詰められた悲嘆を抱えざるを得なかった者をなぐさめる装置や、本人がちゃんと悲嘆に暮れる時空間をつくれるように促す装置や文化が古くからあった。こういう、あいまいでうしろぐらい、罪を負っているような悲嘆のあり方はひとりひとりが抱えていることで、誰もが思い当たるふしがあるように思う。この感覚が罪悪感にも通じていると思うし、「悼む」ということばが気になる、自分に関わりがあると思う。今のこのスピード感のなか、いろんなものが見えてしまうなかで、他人ごとでない、生臭い自分の欲望と向き合うような「悼む」作業や悲嘆を、どうやってやっていったらいいんだろう? どうやっていけるだろう? と思った。

野口雨情のことがすこし書かれていて、すごく読みたくなった。

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