「柊と南天」3号

その燭を人は忘れる けれどいい、誰も知らない夜明けが明ける

くらき海ほたる烏賊あふれ口数のすくなき街と遠くつりあう

中田明子/月と水母


暖かく緩むあなたの隣から動きたくない白梅の散る

はじめての息入りゆき音になり分娩室の声一つ増ゆ

中島奈美/欲張りの生命力


いつまでも待つわだなんて車窓にはたくさんの人流れているも

感染者の増えた夕べに駅ビルの花屋で紅い花を買いおり

竹内亮/風切る音


可憐なるクシャミで済ます人がいて そのやり方を未だ知らない

とびきりの山場をみせる和太鼓のように激しく鳴る脱水機

丘村奈央子/アンダンテ


フィガロの結婚式が長い長い誓いの言葉で眠りそうになる

金色の稲穂見つめて学校へ通ったころの私はいない

安倍光恵/君!断罪せよ


好きなのに別れた人を記憶から歪めては消すこの金魚玉

うつ伏せて眠るあなたのあしゆびが掴む能動的五分間

池田行謙/夏の新宿 SHEENA RINGO の


朝まだき空と君との間には薄紅色の夢がよこたふ

うすれゆく昭和の空を吸ふ映画「櫻の園」の乙女は深く

吉田達郎/昭和


戸も窓もこころも閉ぢてゐたりしを外とどこかでつながりてをり

三本の電線ゆつくり揺れてゐる小舟の底をなぞる形に

加茂直樹/風が鳴る


まわすこと跳ぶこと土に降りること留まらないことくり返すこと

くり返し近づく縄を跳び越えて自分の足を打つまでの罰

永野千尋/ちょっと月まで


みんなみの海のにおいも降らしめよ無口に続く文月のよるに

迫力が雨を降らせていることのわが暁の夢の破れ目

永田淳/檣に風を集めて


明方の夢の途中で行きあったその人の顔を思い出せない

月のない夜は首筋から青いうろこが生えてくるんだ そして

乙部真実/夜空


題詠「歌/歌詞を詠う」っておもしろい。

そう、歌は歌われ、くちびるを離れ、やがて別のくちびるにのせられ、雑然とした場所で、孤独な時間に、なんでもない場所で、ときにとんでもない場所や時間に、好き勝手に歌われ、誰かのものになり、誰のものかわからなくなり、正体が何だったかわからなくなってゆく。それでもどうしてか何かが伝わり、また歌われ、詠われ。

なんとなく二首ずつ、心にのこった歌を並べてみた。どうしてかそれぞれの連作のあとのほうの歌からまた戻るように並んだのが多いと思う。読んで、またはじめから読んで、戻って。二首並べると詠われたその歌たちからこぼれたものがまたべつの歌になりそうな、溢れそうな、うごくような気配を感じる。忘れる、そして。

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