2020.06.06

ジーンズを穿いたわたしが髪をおろして椅子にすわり、背中を見せているシーン。自分の子におっぱいをあげているんだと思う。父から送られてきた動画にそんなシーンがあった。
父は背中や人のいなくなった場所を撮る。父はそういう人で、いつもそういう人でありつづける人だと思う。相手が子どもであっても、上司であっても、妻であっても、はじめて会う人であっても、自分を憎んでいる人であっても、誰であっても。父親というものとの付き合い方は全部わたしが決めてきたんだなと思う。わたしがどんな付き合い方をしても、父はそれを受け入れただろうと思う。父親の子どもであるわたしは庇護と自由を与えられ、相手の様子をうかがったり、いやらしく取り入ってみたり、怒らそうとしたり、父の知り合いと知り合ったり、安易なそれを経て、結局自分がここでどう立ち回れば良いのか分からないまま、自分だけはいつもすこし離れた場所から見る者だという頑固さを引き継いだように思う。家族というものとの付き合い方の分からなさと自分が庇護のもとにある状態がいやで、そこを離れてからもながく、この分からなさと頑固さで自分の居場所をまもっていた。

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