最期の丸いおにぎり
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先日、祖母の妹、大叔母がこの世を去った。
朝起きてリビングに行った私に、「叔母さんがついに、、」と言った母。
寝起きでもその先の言葉を悟ることはできたから、「ついに」の後は聞き返さなかった。
最近救急車で運ばれたとだけで聞かされていたけれど、運ばれた理由も知らされなかった私にとって、大叔母との別れは突然すぎた。
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うちから車で約10分のところに、夫婦2人で暮らしていた大叔母。
喪服を着た祖母は、リビングにいた私に
「行ってくるね」とだけ伝えて家を出た。
祖母とは朝から、大叔母が亡くなったことを一言も話していなかったけれど、
全身黒い服を纏った祖母に対して「どこに?」と聞く必要はなかった。
そして、祖母に、大叔母の死のこと知ってるよと伝えるには、前日作った蒸しパンを「食べる暇ないかもしれないから」と言って渡す他なかった。
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次の日開かれた大叔母のお葬式。
母も私も参加しないごく少人数で行われた、自宅での家族葬だった。
祖母がおにぎりを作って持っていくというので、参加できない代わりに、せめてもの、おにぎりでお悔やみしようと思い、祖母のおにぎり作りを母と一緒に手伝った。
いつもの癖で三角のおにぎりを握っていると、
祖母が「三角はダメ。丸だよ。」と教えてくれた。
私はその理由が知りたくて、祖母に聞いたけれど、
祖母は「昔からそうやって言われてきた」と、
祖母も詳しいことは分かっていないようだった。
すると、携帯でその理由を調べ出した母。
知恵袋の回答によると、
「人間のもつ角がとれ、性格の丸い仏となって、成仏するように」
ということだった。
なるほど、と頷く一方、
「人間のもつ角」という言葉が気になった。
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大叔母との会話で1番記憶に残っていることがある。
それは、親戚の集まりで、隣にいた大叔母と話したときのことだった。
大叔母は言った。
「姉さんの言い分がきついと感じることもあるかもしれないけれど、姉さんは強い心の持ち主で、人想いで、誰よりも尽くしたい気持ちのある人だからね。私は姉さんのそういうところ尊敬しているの。」
と。
祖母はたまに口が悪いときがある。
田舎の訛りできつく聞こえるときもある。
けれど、その裏に隠された人柄まで理解し、尊敬していた大叔母。
彼女に角などあっただろうか?
と思った。
お花が大好きで、母の姉が枯らした花をまた綺麗な姿に再生させた大叔母。
会うたびに明るい声で名前を呼んでくれて、「元気だった?」と笑顔で聞いてくれた。
角というより、丸の大叔母しか見たことがなかった。
けれど、実は誰にも言えない苦しみを抱え、自分で必死に丸く丸くしていたのかもしれない。
そんな大叔母に、丸いおにぎりを。
おいしいおいしいと言って食べてくれるかな。
食べてくれるといいな。
そう願いながら、おにぎりを丸く握った。
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その日の夜、祖母の部屋の扉が少しだけ開いていた。
そっと隙間から覗いてみると、日記を書いている祖母がいた。
小学生の頃、夜に祖母の部屋で、こたつに入りながら祖母とおしゃべりしていたとき、
書き物をしていた祖母に、「何を書いてるの?」と聞いたことがあった。
祖母は、「日記よ。何年も毎日書いてるの。今日のことも書いた」と言って、
私のピアノの発表会を見に行ったことを日記に書いてくれていたことを思い出した。
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大叔母が亡くなった日、祖母は一体どんなことを日記に書いたのだろう。
朝、「行ってきます」とだけ言ったとき
おにぎりを一緒に作ったとき
家に帰ってきて「みんなおにぎりをバックバク食べてたよ〜」と報告してくれたとき
どの場面でも、祖母の声、表情、後ろ姿、歩き方はいつもと一切変わらなかった。
おにぎりを一緒に作ったときや、おにぎりの報告をしてくれたときは、笑ってさえいた。
そういえば、祖母の涙は、今まで一度も見たことがない。
妹に先立たれた祖母の想い。
祖母はきっとそれを日記にしたためているだろう。
どうかその想いが、「姉さん」と慕っていた妹の大叔母へと届きますように。
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