それを言っちゃあ、おしめぇよ

最近カップリング熱というのはフツフツと湧き上がって来る。
自分の中のBL熱というのは変動性なのでコアな四六時中恒常腐女子には負けてしまうのだが、その代わり集中砲火型なので勢いは凄まじい。その反面飽き性な一面も存在しているので、花火のように打ちあがっては花火のように消えていき泡沫の夏の思い出のようになりがちである。

よく人は「好きなキャラが増えていくだけ、好きなカップリングが増えていくだけ」と言っているがやっぱりムーブメントというものはあるだろう。愛は永遠ではなく常に刹那的なものなので、厳密に言ったら「その時熱烈にハマっていたカップリング」と「今熱烈にハマっているカップリング」しかないのである。それこそワンナイトラブのような関係性。あの時は燃え盛るような愛を感じたけれど気づいたら別のカップリングにハマっていたというのが真実ではないのか?しかしそれは別に同じカプを愛する者達への裏切りでもなんでもない。恋はいつだって移ろいやすい。大事なのはその一瞬を楽しめたか、その記憶を残したかである。

「あなたがあの時全力で愛してくれたカップリングのおかげで私は救われました」と言いたくなることが多々ある。それは連載終了、アニメ終了後のブームが過ぎた覇権作品であったり、どこを探しても同士の見つからないマイナー作品であったり、王道に唾を吐くようなドドドドマイナーカプであったりする。仲間がいるということは孤独にめっぽう弱い人間への最大のご褒美である。それは別に漫画じゃなくても絵じゃなくても小説じゃなくてもいい。タイムラインにぶちまけた嗚咽のようなツイート群、怒涛の妄想の類、呪詛のような祈りも込めて全てが栄養になる。2007年開始のpixiv、2008年公開のTwitter、それ以前の個人サイトや個人ブログ(リンク切れではない)、そして中古となって売られている同人誌。あるいはネット上に再録された同人誌…それらに同士の痕跡を見つけ出すことが何よりの喜びへと変わるのだ。私は考古学を少し齧ったことがあるのだが発掘調査に似ている。出てくるかどうかわからない暗闇から遺物を見つけ出す喜び、掘れば掘るほど深みに嵌っていく感覚、欠片であってもそれ自体が貴重な存在…確かにそこに古代人、いや同じカプを愛する者が確かにその時代に存在していたという証となりもの!!

なんかもう全ての同カプ者を抱きしめたい気分、年代も性別も宗教も民族も違うかもしれないけど同じ村で暮らして楽しく過ごそう。カプを崇め称えて二人の幸せを願いながら自分たちの幸福も追求していこう。例えそれがどんなに過疎で魔境で険しい道のりが待っていようとも!

しかし現実というのはそううまくいかない。
むしろ村だからこそ起きる争いというものも存在する。
とうか人間が顔を合わせる以上なんらかの衝突は起きるものなのだ。
今わたしがこうして見ている過去の産物だって本当は戦争の痕跡かもしれない。

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