エイプリルフールの同性婚ネタ

エイプリルフールでの炎上が未だに尾を引いているみたいで、しかも同性婚ネタを問題視する方が差別的だなんて言われてるので書いてみる。

一番残念なのは当事者声優が「LGBTの異常性を浮き彫りにしている」というツイートにいいねを押していることで、自分の擁護のために却って身を滅ぼすタイプの炎上になってしまったことだ。

同性婚ネタの謝罪で終わっていれば時代遅れのネタを披露して謝罪して終わりだったのに、むやみやたらに擁護していたファンの言い分を真に受けたのか、LGBT差別主義者ではなかったのに結果的に差別主義者と思われるスタンスになってしまった。

SNSは炎上後の立ち回りには厳しい。下手にうじうじ言ったり自分は悪くないをすると却って炎上する。謝罪を載せてしばらくお休みが本人のメンタル的にもベストである。

声優さんは適応障害で活動を制限したこともあり、復帰後数日といったところで燃えた。ファンの中にはどうしてそんな燃えやすいツイートを朝から…と心配していた人もいたが案の定である。

実は同性婚ネタは2022年にすでにされており、その時は乃木坂メンバーが燃えていた。知っていればリスクマネジメントできたかもしれない。

その時もアイドルのファンが擁護して余計荒れていたことを覚えている。

「そのくらいで…」みたいな事件を矮小化させようとする反応が最も当事者を傷つけるもので、ファンは悪気なくそういう態度を取ってしまっている。ファンにとってはわけのわからない連中が好きな相手を傷つけている文脈でしかないからだ。

何かを擁護する時、その擁護が的外れだった時、他人を攻撃する内容だった時、余計に事は大きくなる。何を言ってるんだお前と言いたくなるからだ。

「それはお前が悪い」みたいにサッパリ事は終わらない
どうしても相手が悪いことにしてしまいたいのが人間だ

それはファンだけではなく本人もそうで、いきなり大勢から袋叩きにあったらパニックになるし自分の味方を見つけたくなるのが普通だと思う。

しかしその味方が「応援しています」のような純粋なファンではなく「LGBTは異常」と言い放ってしまう無能な味方だったのが最悪の事態を招いた。表面的には多様性を謳う世の中で明確な差別的意志は確実に今後の仕事に響く。

でも本人的には決してLGBTを踏みにじる気持ちで出した発表ではない(と信じたい。)

というのも百合営業やビジネスBLという言葉があるくらい同性の匂わせはファンに需要があるからだ。

実際、男性の声優や俳優でもエイプリルフール結婚ネタを見たことがあるような気がする。結婚報告で仲の良い男性の名前を挙げて「○○と結婚するんじゃないんだ」であるとかトレンドに男性の名前が二人あがると「この二人が結婚したんだと思った」とよくツイートされるが、それもいい気分にはならない。

同性婚=ネタという図が成立しているからだ。
エイプリルフールは嘘をついていい日である。
ということは同性婚は今後実現しないフィクションとして扱われているのだ。

異性婚のエイプリルフールがないのはファンが喜ばないからで
同性婚のエイプリルフールがあるのはファンが喜ぶからだと思う

オタクコンテンツはフィクションとしての同性愛を消費してきた。
百合営業もビジネスBLもそうだ。しかし現実には声優も俳優も異性と結婚する。

同性婚はそれが嘘だから許されているので、実際に声優、俳優が同性愛をカミングアウトすれば仕事がなくなるのが現状だと思う。だからカミングアウトできるのはほんの一部であって、存在しても隠しているのだと思う。

もし当事者に「どうせ日本で結婚できないからエイプリルフールだけ嘘の結婚報告をしよう」みたいな事情があれば賛同されるかもしれないが実際はファンへのサービスの一環としての百合営業に過ぎない。

女性向けコンテンツには男性だけ集団という設定が多いが、腐女子に人気があったとしてもキャラクターにはゲイ(同性愛者)という設定がされていなかったりする。その背景には夢向け腐向けのいいとこ取りであるとか、自分でカップリングを組ませたいという需要が当然あるが、ファン心理に表面的な受容と深層的な拒絶があると思う。

BLとして消費するが、実際に同性愛者だと堅苦しく感じるor萎える。
BLはファンタジーだからいいのであって公式であって欲しくないという欲。
海外アニメだと後からキャラに同性愛者設定が生えてきたするがやっぱり毎度のこと炎上している。

日本はよく同性愛に寛容と言われるが、制度上では不寛容である。
そうねじれ現象が炎上に繋がったんじゃないかと思う。
同性婚が認められていないからこそできる同性婚ネタという歪さ。

当事者も全員が全員反対というわけではなくもっと同性婚に対してオープンになって欲しい、議論して欲しいという人もいたが、声優本人はLGBTについてよく考えていなかった。

同性婚は未だに日本では認められておらず、当事者とその支援者が権利獲得のために国と争っている最中である。
さらには現政権がLGBTバッシングを勧めていることもあり、生きているだけで息苦しい瞬間が存在する。

今回の炎上で不思議なのはどうして大多数の人間が異性しか好きにならない=自分がLGBTの当事者にならないかと考えているのかということで、カテゴライズできるほど人間は単純じゃないと私は思っている。

同性愛者が好きになる性別を選んでいるように異性愛者も好きになる性別を選んでいる。その選択の組み合わせが違うだけでマイノリティになってしまうのだ。

将来的にはLGBTQA、さらに分類不可能な性の在り方も誕生して広く知られるのかもしれない。あるいは個人を性的指向で分類しない世の中がやってくるかもしれない。

誰を好きになるかの違いで途端に生きにくくなる世界は窮屈だ
そんな風にエイプリルフールの炎上を見て思った




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