食事ガチャ | 中国隔離day18
杭州での隔離ホテル生活は、なかなか快適である。
部屋には壁一面の大きな窓があり、ホテルの駐車場が一望できる。
おそらく従業員が主に使用するであろう駐車場からは、警備員の制服を着たおじさんや、コックの格好をしたおばさんがよく見える。
私の部屋は2階なので、窓を開けられるならば余裕で会話ができそうな距離だ。
このおばさんが私の食事を作ってくれているのかもな…と思うと感謝の気持ちと、最近おかずを残しまくっていることへの申し訳なさを感じた。
隔離生活が始まった頃はうめぇうめぇと喜んでいた中国料理がこのところ受け付けなくなってきているのである。
私は昔中国に住んでいたこともあるし、ダンスで中国に来た時も特に食事で困ったことがなかったので、まあ今回の隔離での食事も余裕だろうと思っていた。しかしやはり2週間以上毎食中国風の味付けは、日本人の舌には厳しいものがあった。
途中からおかずを食べることをあきらめ、のりたまに頼る日々を送っていた。
今までのりたまを軽くみていた自分を殴ってやりたいくらい、のりたま様は私の食生活を支えてくれた。
日本に帰ったらたくさんののりたま達をギュッと抱きしめてやりたい。
そんなのりたまも底をついた今、かろうじて食べられる数少ないおかずと、白米そのものの味を楽しむしかすべは残されていない。
弁当の蓋を開けるときは、一抹の緊張が走る。
さて、今日の献立は食べられるものが入っているのか??
隔離ホテルガチャは終了したが、安心する暇もなく毎日食事ガチャを引かされているのである。
最近はそのようなハードモードな食生活を送っているのだが、ある日事件が起きた。
いつものように昼食の弁当の蓋を開けると、エビの炒め物が何くわぬ顔で鎮座しているではないか。
私は、甲殻類アレルギーである。
エビを食べたことで、全身に蕁麻疹ができ、立つことすらままならなくなり大阪の十三駅の改札で座り込んだ経験をもつ実力者だ。(十三の改札はよく酔っ払いが寝ていたりするので、アレルギーで苦しんでいるのに、ただの酔っ払いだと思われたら悔しい…と朧げな意識の中で嘆いた記憶がある。)
しかも20歳の頃に発覚した後天的なアレルギーである。それまでは普通にエビやカニを食べていたし、なんなら好物だった。
何度か謎の強烈な蕁麻疹に襲われ、蕁麻疹が出た時の共通点としてエビ料理を食べていたということに気づき、検査をした結果甲殻類アレルギーと診断されたのだ。
発症するとまず末端からかゆみに襲われ、気がつけば全身真っ赤に腫れ上がり、呼吸することも立つことも厳しくなる。アナフィラキシーは本当に怖い。
私はエビやカニの、あの美味しさを知っている。生まれつきならまだ良かったものの、あの美味しさをもう味わうことができないのは非常に辛い。
甲殻類アレルギーのメリットなんて、結婚式のコース料理が一段階上のコースに変更してもらえることぐらいである。(魚介が使われていない代わりにめっちゃいいステーキのコースになったりして、この点は嬉しい。)
甲殻類アレルギーと診断されてから、食事に潜むエビやカニを発見するセンサーはかなり敏感になっている。二度とあの苦しい思いをしたくないからだ。隠し味であろう桜エビの微かな存在感にも一口で気づく実力を持つ。怪しい料理には注文する前から店員さんに確認することを怠らない。その眼光の鋭さはFBIにも引けを取らないと噂されている。
ちなみに、私はアレルギーが発覚する前はエスニック料理が結構好きだった。しかし、以前タイ料理屋に行った際、「この料理ってエビ入ってますか?」「……当店のすべての料理にエビが入っています。」という絶望的な状況に追い込まれ、静かにビールだけを飲んだという悲しい過去がある。その為、エスニックも要注意なのである。
甲殻類アレルギーであることはもちろん隔離初日にホテルのスタッフに告げてある。何の手違いかは知らぬが、今まさにエビが私の目の前に姿を現しやがったのだ。コックのおばさんの宣戦布告ともとれる。
白菜といいバランスで炒められた、いかにもプリプリで美味しそうなエビが、弁当箱の中で勝ち誇った顔をしている。非常に腹立たしい。
ただでさえハードモードな食事ガチャに天敵・エビが登場するというサプライズに、私はただ白米の美味しさを噛みしめることしかできなかった。
早急に「私は甲殻類アレルギーです。」という中国語を猛練習する必要がありそうだ。
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