杭州へ移動 | 中国隔離day15

いよいよ昨日で一旦14日間の隔離が終わり、今日は杭州市に移動する。杭州でまたさらに7日間の隔離が待っている。

日本から中国へ来た時と同じく、移動日は緊張で早めに目が覚める。

中国に来て以来1番天気が悪く、今日に限って外はどしゃぶりだ。本来は11:00のフライトだったのだが、悪天候の為欠航になり17:00の便に変更になった。

荷造りをすませ、ホテルのスタッフが部屋に迎えに来てくれるのを待つ。

残り5日で24本も購入してしまった水は、無念にも14本余らせる結果となった。当初私は、追加で購入するのは10本ほどでいいかなぁと思っていたので、その通り10本購入していればいい感じにぴったり飲み切れていたのだ。たまには自分を信用するべきだなと思った。

まだビニールパックに包まれたままの大量の水と、ペットボトルに生けられた薔薇に別れを告げ部屋を後にした。

14日ぶりの外。しかし、これから大丈夫かなぁという不安な気持ちが大きかった為「やっと外に出れたぞー!!ヒャッホー!!」という気分には意外とならなかった。

外の空気を味わう暇もなく車に乗せられ、空港へと向かう。運転席と後部座席の間には感染対策のビニールシートが厳重に貼られており、運転手はもちろん完全防護服にフェイスシールド姿だ。

車の中は信じられない位暑く、額に汗が流れ落ちるのを感じた。
運転手のおじさんに目をやるが、彼はそしらぬ顔をしている。手を扇にして「ワタシ、めっちゃ暑いんですけど…」アピールをするが彼に私の想いは届かない。なぜこんなに暑いのに彼が平気な顔をしていられるのか不思議だった。

まさかと思い、運転席との間のビニールシートの隙間を足ですこし広げてみると、めちゃくちゃ涼しい風が流れこんできた。

くそ…そっちは涼しいんかい…

エアコンはついているけど、ビニールシートのせいで後部座席にはそよ風すら入ってこないのだった。悔しいが仕方ない。
おじさんはそんな事も知らずEDMを爆音で流していた。

するとおじさんが急に喋り出した。
もはや独り言なのか、喋りかけられているのかもよくわからない。
独り言だろうとずっと無視していたが、少しこちらを振り向いてきたので喋りかけていた事を知る。

何?と聞き返すと、中国語が分からないのではなく、ただ聞き取れなかっただけだと思った彼は、「部活の引退試合で負けそうな先輩を必死で応援する一年生」しか発することを許されないくらいの声量で叫び始めた。

中国語というのは、日本人からすると少し喧嘩腰のように聞こえる。
おそらく、中国語の少し舌打ちしてるように聞こえる発音方法がそのように聞こえる原因だと思う。発音が複雑な為か、必然的に声も大きくなる。

今は亡き爆買い中国人に嫌悪感を抱く日本人がいるのも、発音の仕方や声の大きさも関係してるんじゃないかなと思う。

しかしこれは言語の特徴であって、仕方がない。東京の人が関西人の喋り方をキツく感じるのとだいたい同じことだ。

私は中国に住んでいた事もあるしこの事はちゃんと理解していたが、やっぱりこのおじさんが私に文句を言っているのか、ただ話しかけているのかわからなかった。

私はおじさんの勢いに疲れて、力なく「ティンプトン…(分かりません)」と言ったが、おじさんは止まらない。

しかしこういう時に決してひるんではいけない。

我慢ならなくなった私は、おじさんに負けない声量で、「私は中国語が話せないから、何言ってるのかまったくわからない!!!英語話せる??!!」と英語で叫んだ。

するとおじさんは少し驚いて、「英語はわからない…」と力なく言った。(この程度の中国語なら私は聞き取れる)

形勢逆転である。

おじさんよ、君が私にしていたのはこういう事だぞ。と私は堂々とした態度を見せつけた。

私が中国語がわからないことを理解したおじさんは、それから私にも聞き取れるぐらいめちゃくちゃゆっくり話し始めた。

どうやらただコミュニケーションを取りたかっただけらしい。

「韓国人?」「日本人だよ」「留学しに来たの?」「違う。仕事」
私は自分の中にある中国語の引き出しをひっくり返して答え、意外にも中国語で結構会話できたことに自分でも驚いた。

しかし少し調子に乗ったおじさんが突然容赦ない長文の質問を繰り出してきた為全く理解できず、またしても力ない「ティンプトン…」を呟いたところで会話はフェードアウトしていった。

気まずい沈黙の中、車内にはEDMだけが響いていた。

空港に着いた。しかし空港の入り口の前のスタッフに止められ、中に入る事ができない。

杭州への移動の道中もどうせなんか色々トラブルが起きるだろうとは思っていたが、あまりにも早い問題発生にげんなりした。

これから移動する杭州市の健康コードが新たに必要だったのだが、私は中国のSIMを持っていないので色々手こずったのだ。

入り口のスタッフにWi-Fiを借りて、取得方法をGoogleで調べようとすると、こういう時に限って「わたしはロボットではありません」の自転車とか信号機とか横断歩道の写真パネルを選ばされるやつがでてくる。(ちょっと見切れてるパネルも選ぶべきかよく分からないし、自転車とオートバイの見分けがつかなかったりするし、ロボットじゃなくてもこれはむずいだろと毎回言いたくなる。)

なぜか突然自転車の写真を選びはじめた私に、何してるんだこいつ…というスタッフの視線を感じるが構わない。

EDMおじさんも私が空港に無事入るのを見届けなければ帰れないシステムのようで、遠くから心配そうにこちらを見ている。

入り口のスタッフの男と20分程格闘した末、救世主となる別の女性スタッフが現れ、EDMおじさんも加わり4人がかりで健康コードを申請した。

女性スタッフの登場にEDMおじさんと入り口のスタッフの男は色めきだち、殺伐とした空気が急に朗らかになった。私の携帯の設定画面をみて「日本語全然わからねぇよなぁ」なんて3人でヘラヘラ笑ったりしていた。

こちらとしてはこんな時にヘラヘラすなよという気持ちでいっぱいだったが、この人たちがヘラヘラしてられるということはまだそこまで深刻な事態では無いのかと少し安心もした。

女性スタッフの活躍によりなんとか健康コードを取得することができ、その後の手続きもわりとスムーズだった。

周りに客は一人もいない。日本から中国に来た時は、同じような境遇であろう同志達が周りにいたのでひとりでも心強かったが、今は本当に完全に一人である。

ゲートに向かうシャトルバスの中も、飛行機に乗り込んだ時もなんと客は私一人だった。こんなことは初めてだったので、まさか貸切か…?!と思っていると10分後くらいに観客がたくさん現れ、瞬く間にほぼ満席になった。

自分一人だけ移動教室を間違えた時の「えぇっちょっとみんなどこおったん?!」という懐かしい感情を思い出す。どうやら私は隔離途中なので別対応だったらしい。

飛行機は悪天候の影響で揺れまくり、機内には不安げなどんよりとした空気が流れていた。

この飛行機は国内線かつ、隔離途中の者は私1人だったこともあり、CAさん達は完全防護服をきておらず、CAらしいかわいい制服を着ている。このような可愛い制服に憧れてCAになったのに、雪だるまかイカゲームの工作員みたいな防護服を着る羽目になった国際線のCA達のことを思うと非常に気の毒でならない。

中国の航空会社は、私の経験上国際線のCAでも英語を話せない人が多いが、今回乗った飛行機のCAさんは英語で優しく対応してくれた。

中国に来てから、容赦ない中国語で訴えかけられることが多かったので、相手(私)に伝わるように声をかけてくれたスタッフさんは非常に珍しい存在に思えたし、すごく思いやりを感じた。

よく日本でも、日本語がわからない外国人に対して無理矢理日本語で突き通そうとする人がいるけど、頑張って外国語で話してみるとか、翻訳アプリを使うとか、寄り添ってあげることが思いやりなんかもなぁなんて事を思いつつ私は眠りについた。

杭州に着くと、隔離ホテル行きの人々専用のプレハブ小屋に案内された。
杭州でも隔離ホテルは政府の用意したもので、完全ランダムとなっている。隔離ホテルガチャ再び。である。

プレハブ小屋には殺伐とした空気が流れ、私以外には三名ほどが迎えを待っている。
依然として天気は悪く、外は雨が降っていた。

係の人も、よほど暇なのだろう。ここを家と勘違いしていなければ説明がつかないほどのリラックス具合で、堂々とドラマを見ながらたまにチョチョッと仕事しているといった具合だ。

預けた荷物はここに届くよ。と言われていたので大人しく待っていたが一向に荷物が届かず不安になる。しかし待つことしかできないのでとりあえず本を読んで時間を潰した。(ここでも、他のお客さんで英語が話せる人や日本語が話せる人がわざわざ私に状況を説明してくれた。本当に感謝。私も日本で困っている外国人は助けようと思った。)

1時間ほど経った頃だろうか、係の人が私を呼んでいる。そしてプレハブ小屋の外を指差しあれはあなたの荷物か?と聞いてくる。

外に目をやると、私の荷物が土砂降りの中放置されているではないか…

私が阿佐ヶ谷姉妹さんのエッセイを読みながら「次引っ越すとしたら、阿佐ヶ谷や高円寺あたりもいいなぁ」なんて呑気に過ごしていた約1時間弱、荷物達は雨風にさらされずっと外に放置されていたのだ。

荷物達よ…!!すまない…!!ドラマなどでたまに見る、雨の中恋人を待ちぼうけにしてしまったやつと全く同じ心情で土砂降りの中荷物のもとに駆け寄る。荷物がちゃんとある安心感と、いや、雨なんやからさ…ちょっと中まで運んでくれたっていいやん。という気持ちで混乱したまま、送迎の車に案内された。

もっと長時間待たされる覚悟でいたので、意外にも早く送迎が来たことに驚き、慌てて車に乗り込んだ。

とにかく言われるがままという感じで、この車が実は送迎の車ではなく悪の組織の車で、これから私を誘拐しようとしているとしても気づけないだろうなあと思う。

車内は真っ暗で、ホテルから空港に行くときに乗った車と同じく運転席と後部座席は隙間なくぎちぎちに仕切りがなされている。

慌てて乗ったから一応忘れ物がないか確認してみるか、まぁ無いとは思うけど…と、暗闇の中でカバンの中を確認すると、いつもパスポートを入れている場所にパスポートが無いことに気づく。

やばい!さっきの小屋に忘れた!

一気に血の気が引き、冷静を失った私は、気がつくと運転席と後部座席の間の仕切りをバンバン叩き、一心不乱で「アイフォーガッマイパスポーーー!!」と叫んでいた。

まさか、いきしなの車でEDMおじさんが発した「部活の引退試合で負けそうな先輩を必死で応援する一年生」の声量を数時間後自分も発することになるとは思いもしなかった。

運転手のおじさんは突然暴れ出した謎の外国人にさぞ驚いただろう。「英語わからないよ…」と中国語で嘆きつつも、異常事態を察してUターンしてくれた。

ところが、小屋へ戻っている道中、もう一度リュックの中をよくみると、そこにはパスポートがあるではないか。

やばっ…!あんなに暴れたのに普通にパスポートあんじゃん…。

数秒前の自分の必死な姿を心底恥じた。部活の一年生も真っ青である。

小屋の前に到着しドアを開けてくれたおじさんに渾身のテヘペロといった表情でパスポートを見せ、「ソーリー…」とつぶやいた。「はて?」という顔をしているおじさんに更に「メイウェンティ…(問題ないです)」と言うと、状況を理解したおじさんは私の粗相については全く気にしていない様子で、私が中国語を話したことを喜んでいた。

その後も、「ごめんなさい」「有難う」など簡単な中国語を話すとおじさんはとても上機嫌になった。おじさんの陽気さに感謝である。

隔離ホテルには数分で到着した。完全防護服を着たホテルスタッフに一通り説明を受ける。

ちなみにホテルスタッフは、翻訳アプリを使って説明してくれたのだが、聞き取れた中国語に対しては直接中国語で返事をしていると、「お、わかるの?」と喜ばれた。

中国の人、中国語話したらみんなめっちゃ喜ぶやん。と言うことを学んだ1日だった。確かに、日本人的な感覚からしても日本語を話す外国人というのは親しみが湧くしカタコトもなんだか可愛いらしく感じる。自分が外国人側だと何が面白いか全くわからないが、「カタコトの日本語を話す外国人が面白い(もしくは可愛い)」という感覚は理解できる。

外国人が自国の言葉で話すのがなんか嬉しいというのは万国共通なのだろう。

中国語を使うことによって、空港や隔離施設などの殺伐とした業務的なやり取りに少し笑いが生まれるのはなんだかほっこりした。

これも私が今日CAさんに感じた種の思いやりなのかもしれない。中国に来た日本人として中国語や中国の文化を勉強することというのは、実用性のためだけじゃなく、相手に寄り添う事でもあるんだなと学んだ。

さて今回の隔離ホテルガチャはどうだったかというと、前のホテルと比べると少し狭いが、結構綺麗なホテルだった。調べるとどうやら5つ星ホテルらしい。今回のシャワーヘッドは大丈夫そうだ。

というわけで、私の隔離生活シーズン2が幕を開けたのだった。

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