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巡り巡っていけばいい


それが物であれ、サービスであれ、何でもお金と交換できる時代はもう終わりが近づいている気がする。そうであって欲しいとも思っている。


4年前のちょうど今頃、都内で1週間ほど滞在中、ちょっとした手違いで最終日の泊まるホテルが無くなってしまった。そんな困っていた私を、まだ知り合って浅いのにも関わらず快く自宅に迎えてくれた人がいた。

その事をきっかけに、その後1年間ほど都内で研修の度に滞在させて貰った。

宿泊費が浮いたことで、その費用を充分に研修に回すことができて、本来なら不可能であろう強行スケジュールをその1年でこなしてしまった。


感謝してもしきれないほど、本当にお世話になった。食への考えかたや、車も電子レンジもテレビも無いライフスタイルが共通で、その人といると、とても自然体でいられた。


ある日、感謝の気持ちを形にしたくて、私は「食洗機」をプレゼントしたいと申し出た。

ちょうどその頃、妹が食洗機を購入して、家族との団欒が増えたと大絶賛していたので、同じように喜んで貰えるかな?と思ったから。


けど、返事は「要らない」との事で。食洗機に限らず、いくつかお礼を提案したけれど、結局お礼を形に出来なかった私は、お世話になってばかりで、どうしてもバランスが悪い気がして居心地が悪かった。

そんな私の気持ちを伝えたら、彼女は言った。

「自分のした親切が巡り巡っていけばいいと思っているの」と。

私はハッとした。


いつからか、いつの間にか、ギブ&テイクの考えが染み付いてしまっている自分に気付いた。

お金が無くても成り立つ世界に憧れながら、実際はそこからどんどん遠ざかる思考になっていた。


「自分のした親切が巡り巡っていけばいい」


彼女の大きな心に少しでも近づきたいな。

あの日から、そんな気持ちをずっと持ち続けている。


篤子さんは音楽療法士だった。今思うと、私は知らず知らず、いつの間にか、癒されていたんだ。


彼女にとっての私との日々は、ほんの小さな1ページかも知れない。けど、私にとっては栞を挟んで、マーカーを引いて、なんども読み返したい大切なページ。


研修がすっかり終わったタイミングで、海外に引っ越してしまいましたね。導かれたような巡り合わせでした。


「自分のした親切が巡り巡っていけばいい」


そんな彼女の姿勢は、私が「住みたいと思う社会」の姿を見せてくれた。


素敵な言葉を有り難う!


いまでも、感謝でいっぱいです!

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