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互いに「幸アレ」を願いあう世界へ

昔、書いたブログがある。
タイムスタンプを見ると、書いたのは2016年。
2018年にリライトしている形跡がある。

「わたしは、ここにいる。あなたは、どこにいる?」
という、記事タイトル。

抜粋する。

最もしつこく、攻略の難しい敵は、どうしたって、自分自身だ。

なにもしない日が多い私。

でも、何もしてなくても、頭の中は寝てる時以外は…もしかしたら寝てる時も、稼働している。

でも、それは、ただの妄想にすぎない。

妄想は、カタチにしない限り、想像をいじくっているだけにすぎず。

そこからは、なにも、姿を現すことは、ない。

出会えてよかったな、と心から感じる人達がいる。

私が、さらなる「我が道」を、停滞せず怠けず進むには…

やっぱり、同じように「我が道」をどんどん進んでいく人が見せてくれる背中が、必要なんだ。

群れる、馴れ合う…じゃなく。

個々が、己の道をしっかり歩き(人によっては全力疾走とか、空中浮揚とか…)

いざとなれば手をつなぐことも可能な距離感で

かといって干渉はせず

点呼をとらなくても、なんとなくどこにいるか感知できて、いつもはその程度の接触でよく

助力を求めることもできる。

そういう人達の、歩いている気配。

それが、必要。

我が道を真っ直ぐ往くために、その人の我が道を真っ直ぐ進む人達の気配が、必要。

自分自身も、他の誰かが、その人の道を進むために必要な気配の一つになればいい。

そのためには、見つけてもらわなくちゃ。

https://blog.art-hiro.com/archives/1150


まわりまわって。
今また、こうした気分になる瞬間が、たびたびやってくる。

「ああ、これもまた、未来が過去へと手を伸ばした感じかな」
と、思うこともある。


「わたしは、ここまで来た。今あなたは、どこにいる?」
という、未来から過去への応援メッセージ。


そして。

「ともに行くみんな。
あなたは、今、どこにいる?」

という。
広域メッセージ。


ビジネス界隈でよく言われる言葉
「早く行きたいなら一人で行け。遠くへ行きたいならみんなと行け」

アフリカの諺らしい...が、出展は定かでなく、本当にアフリカのものなのか、諺なのかどうかも不明とか。

でも、なんとなく、いい感じの言葉で、「たしかに」と思わせる。


自分は何のための活動をしているのか。

究極、願いとは一言

幸アレ

に、集約される。
先日、学びの場でも出た話だった。

どこの土地の人にも、
どの時代の人にも、
どの立場の人にも、
どの年齢の人にも、
どの性格・人格・ステージの人にも

共通して願えるであろうこと。

普遍性が高い願いで。
不変の願い。


カミサマの肖像も、その願いを具体的にするためにある。
護符は、もちろん、そのものズバリの存在。

ひとりひとり、みんなが、お互いに「幸アレ」と想いを贈り合うことが当たり前になればいい。

その時はすでに「泰平の世」は実現している。


わたしは未だに未熟者なので。
すぐに、そんな想いも忘れて「我」で走ってしまう。

それでもわたしには、羅針盤の先に北極星があるので。

心の師匠たる北斎翁も目指した、北辰。

妙見菩薩 = 天御中主神

とも、言われている。


北辰の光いよいよ増しなんことを 破軍星を背に

こういうのを描くようになった、ほぼ最初の一枚


破軍星は北斗七星の先端(第七番目)に位置する星。
別名「剣先星」

「その方向に向かって戦うと勝ち、逆らって戦うと負ける」なんて言われている。
この絵には「破軍星を背に」て書き込まれているのだが。
「背に」は、背中合わせっていうことではない。


自分が破軍星の前に立ち、星を背にして前を向く、ということ。


そうやって暗中模索しながら、じわじわとでもいいから。
昨日よりも今日、今日より明日。
泰平の世を創り出し
みんなにも、感じてもらえるようになり。

幸アレ

を、互いに願い合う世界にする。


常にこういうことを発している人の「想い」に触れていることって、大切だなと実感するんですよ。

もし、そんな環境が自分のまわりになかったら、こんな心境にはならなかったでしょう。

昔の自分...若い頃の自分を思い出せば。
将来、そんな願いを公言するような人間になってるなんて、想像だにできません。

ってことは。

常に発信している者が一人でも増えれば。

昔の自分みたいな、そんなこと一切興味ないような「我欲」のみで生きてる人にも、じわじわ染みこんでいくはず。

呼吸とともに取り込まれる「気」に
幸アレ
満ちればいい。


常に発する。

そのために、こういう場所がある。

わたし自身が何らかの理由で更新することができなくなったとしても。
絵や文章は、残っていく。

後に残る手段を持っている。

最近では、それそのものに、感謝がわくのですよ。


カミサマの肖像が作れる手
その主として生きられて。


わたしは、ここにいます。

今わたしがお名前を思い浮かべられる仲間はもちろん。
まだお会いしていない仲間。
お会いすることはないだろうけれど、きっと同じような道を歩んでいるだろう仲間。

あなたは、今、どこにいますか?


一人で行くか、みんなで行くか。

一人ひとりが、「みんなで進んでる」と思いながら、行けばいいんじゃないかな?
どちらかを選ぶってことじゃなくて。



TOP画像に使った絵は、天御中主神

天御中主神
前の名前の落款だ...なつかしい


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