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「その願いを成就させるためなら苦を厭わない。そして振り返った時には楽しかったことばかり記憶に残った」ということは、確かにある。

わたしの人生の道筋を左右するほどの影響を与えた人物を3人挙げなさい。
と言われた時、誰を挙げるか。

これに関するわたしの回答は、もうずっと前に決まっている。

その答えを上書きするほどの出会いが、今後、ないとは言えない。
だから、最終判断はやっぱりこの人生の最終日まで保留ではある。

が、現時点では、そうそう簡単には上書きされないだろうと思う。

一人は、十代の時に出会った。
他の二人は、40代で出会った。

最初の一人との経験が、40代の時の出会いを深いものにした。
すべては、一本のレールの上に、並んだ。

過去からの贈り物について掘り返す。
その行為が、今ここからの道筋へ、新たな光を当て始めている。


タイトルにするには長い文言なのだが。
これは、3人のうちの一人へ向けて書いたメールの中にあった言葉だ。

1年足らずの交流の軌跡だったが。
処分するに忍びなくて残してあったメールの数々は、今ここからのわたしへの教材となるだろう。

よくぞ、ここまで、言語化したものだ...と、当時の自分を褒めたい。
まさしく「自分讃歌」だ。

こんなものを、しまい込んでいてはいけない。

自分の書いたものながら、そんな風に感じてしまった。


まだ、何も成しえていない、弱々だった頃の自分。

今が強いかって言ったら疑問ではあるが。
何か成したか、と言えばそれも疑問だが。

少なくとも、あれから10年以上経った今、
当時には思い描きもしなかった数多くを、受け取ってきた。

 

月に300を超える、長い長いメールの応酬。
その中には、

「人は何を頼りに生きるのか」とか
「人の願いはどんなカタチをしているか」とか
「神と人は相身互いなのだから」とか

見えない世界(人の感情や思い、無意識という領域を含む)と、どう付き合って、どう生きていくのか。

そんなテーマがずっと下敷きにあっての、禅問答のようなやり取りの軌跡だ。

あれから10年分の年功を積んだはずなのに。
当時の自分の思考力からは、かなり劣化したと思わざるをえない。

歳を喰った。

歳だけじゃない。
それほどの問答ができる相手、というのが、いかに希少な存在なのか...ということでもある。

 

そしてまた。
「今の時代」にとっては、そんな問答の数々は、もはや
「何の意味もない」ことなのかもしれない。

「今、これからを生きていく若い人達」にとっては。


わたしは、昭和ど真ん中世代。
どうしたって、老害になるかどうかという世代。

その、同じ年代の人達は、今の時代があまりにも急激に変幻していく中で、右往左往している。
そんな気がする。

きっと変わらないだろうと思っていた世界の仕組みは、通用しなくなった。
文化も、言葉も、暮らしの在り方も、すべてが、生まれて育ってきた自分たちの「国」とは、違うものになっている。

その差異は、もう二度と埋まらない。
遠のき、開いていく一方だ。

人生100年時代。
その禅問答を繰り広げた40代前半というのは、まさしく、
「折り返し地点」で。

わたしが何歳まで残り寿命があるかはしらないけれど。
その時代に、裏側まで突き抜ける勢いで掘り返した内観の記録は、もしかしたら、灯台の光のような役割をするものとして昇華できるのではないだろうか。

そんな風に、感じた。

というか。
そんな風に昇華していくべきなのではないか?
それができるのは、自分だけなのだから。


どれだけ稼いだとか
どれだけの現世利益を得たとか
どれだけの力を獲得したとか
どれだけの称賛を集めたとか

そういうことではなく。

自分が置かれた環境や、
関わる人との間に生まれる
「儚くも強い光」

絵や造形品だけが、わたしの手から出てくるものではない。

はじめにあるのは、ことば
ことば になって現れるものは 想い

一音一音は、「音」でしかなく
その音にはすべて意味があるとしても
やはり「音」でしかなく

そこに想いがのるためには、音が連続して「ことば」になるしか、ない。

無意識領域にあるものが、顕在化されることない未分化のままで現れる。
そういう時には、「音」は「音」のままだし、そうあるべきだし、そうあるしかない。
それは重要な発露ではあるのだけど。

そのままでは、刻めない「カタチ」というものが、ある。

絵が、抽象的な文様のようなもののまま現れる時と。
具象化されたシンボルとしてのカタチを(たとえば龍のような)刻む時。

両者は、同じ「わたしの手」から出てくるものであっても、性質は全く異なる。

特定の相手との間に交わされた問答の軌跡は、文様のようなもの。
それを楽曲へと育て、さらに「奏でる」という行為で送り出す。

これから、それを、やるべきなのだ。
たぶん。

その先に。
ようやく。
タイトルにした「かつて自分が書いた言葉」が
成就を迎える。

そんな気がする。

 

 



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