不吉な予言をするって、本当は回避ではなく実現を目指しているんじゃないのかな...って感じたりね。
災害を防ぐ
最悪を防ぐ
事態の悪化を防ぐ
そういう名目を掲げているのに
見ているわたしには、その示唆こそがそもそも
「起きて欲しくないその現象を、引き起こさせたいのだろうか」
と思えてしまうのです。
特定の日や
特定の場所
特定の現象
予知だとか
予言だとか
そうやって流布して
「その、特定の点」
へと、人の集合意識を方向付けることで。
かえって、それらが起きやすくなるのでは?
人の意識の力はすごい。
それを、知っているのなら。
あえて、特定の点へ意識を集結させることは、危険なのではないの?
脳は否定を理解できない
のでしょう?
だったら、「○○にならないように祈る」としても。
脳を通した意識の方向は、「○○」しか認識しないのではないの?
そんな疑問を、スピリチュアル業界へ足突っ込んでしまった頃から、ずっと、持っていました。
もちろん、その疑問は、今も持ち続けています。
そして、定期的に、見かけるようになる現象でもあります。
予知とか予言とか
わたしは、興味ないから。
そんな巨大で不確かな何かに右往左往しなくても
自分のことで十分、右往左往していて
それで手一杯。
モノを作ることは
余分なことは考えない
ずっと瞑想しているようなもので
供物をつくっている
と思っているから、尚更。
予言に右往左往するくらいなら
何か、面白いことを見つけるといいのにね。
って、思うのでした。
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