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呪文(真言?)を繰り返す夢

昔、昔にみた夢。
未来に描く方の夢ではなく、寝てる時に見る方ね。

ハタチ前後くらいまでは、毎日のように夢を見てた。
朝起きると、めっちゃ疲れてる。

夢自体は、ロクな内容じゃなくて。
夢の主人公は「この今の自分」とは人種も性別も年齢も違ってるのが普通。
それでも、その中では自分自身として認識している。

そして。
たぶん、これは特徴的だと思うんだけど。

その夢には、5つのカメラがある。

1:はるか頭上で、全体を俯瞰して見ている定点カメラ。
2:自分自身の意識が入ってる「目」というカメラ
3・4:自分の左右にそれぞれ一基ずつ、通常の定位置は少し後方の肩の高さあたりに浮遊しているカメラ
5:背後に追従しているカメラ

このうち3~5は、可動式。
なので、基本の定位置はあるが、状況に応じて、いい位置に、勝手に動く。
(誰にとって「いい位置」なんだよ...という話だが、結局これは不明)

夜ごと、そのカメラが写す夢を見ている「わたし」の感触では、メインカメラは1の、俯瞰した定点カメラだ。

そして、自分の意識が入っているのは、2の「目」だけ。

夢の中の自分が何らかの状況で死ぬと、2のカメラはその時点で消える。
しかし、他の4つは稼働を続ける。

つまり、主人公=夢の中の自我が入った人物が死亡した後も、夢のストーリーは続く。

ほとんど毎回死んでるので、まあそりゃあほんと、ロクな夢ではない。

朝起きると、めっちゃ、疲れてる。

しかし。
わたしは比較的ダークよりの小説を書くヤツだったので。
ネタには、なった。
(ただし、なんせ夢だから、そのままでは使えないんだが)


だいたい中学生くらいから、そういう夢を見始めて。

その「呪文を繰り返す」夢も、その中の1シリーズ((笑))

見たのは、いつだったか…。

高校生の頃かなあ。
もう少し後だったか...。


夢のパターンは3種類くらいあったんだけど。
記憶している限り、呪文はいつも同じだった。

真言みたいな呪文なのだが。
途中がよく聞き取れなくて、定かではない。

当時は今みたいにググってすぐに調べられる時代ではない。

呪文だの真言だの調べるには、本を当たるしかない。


もっとずっと後になって、そっち系の専門家と知り合う機会を何度か得た。
元山伏とか、現役退魔師の密教僧侶とか、破魔剣を代々受け継ぐ家系の神職とか、魔術師とか...いろいろ。
検索も、使える時代になった。

覚えている序盤の数語については、そのものズバリの真言が検索ヒットした。

が、いかんせん、途中があやふやなので、特定はしきっていない。
安易に断定はできない。

あやふやなところは、そもそも夢を見てた当時ですらも聞き取れていなかったので。
今になって「鮮明に思い出す」のは、おそらく不可能だろう。



なーんて。
そんな経験があるところに。

つい先日、とある真言を、教えてもらう場面があった。

夢じゃなくて、現実に。


夢で繰り返してたのとは別の真言だが。
そんなのがそこに登場するとは思ってなかった。

先生に、夢の話を聞いてみようかなと一瞬、思ったけど。

いかんせん、あやふやなところが多いので、やめた。


呪文を繰り返す夢は、3パターンほどあったのだが。
どのパターンにも共通しているのは、

・呪文を絶やさず唱えている間は襲われない
・途切れたらアウト(一撃で致死)
・暗い通路のような道か、あるいは全体が暗くて足元も判別しづらい中を、呪文を途切れさせずに通り過ぎなくてはならない

その時によって、自分の人物像や周辺事情、登場人物の人数などは違う。
が、この3項目は共通している。

唱えている呪文(真言?)も、同じ。

最悪なのは、他に人がいる時だ。
自分が呪文を切らすと、誰かが犠牲になる。

いやほんと、カンベンして。
どういう夢なんだか。

残念ながら、そんな夢ばっかり見ていた若い頃。

何見ても楽しいってことを表す「箸が転がっても笑う」なんてお年頃から20代前半くらいまでの大部分は、ヤバい夢を見る日々だった。

(もっとも、そのことで悩む...というデリカシーも持ち合わせていなかったので、夢見て疲れるって面倒くさいなあ…と思ってた程度だけど)


もし、その呪文が現実に存在する真言だとすると。
やっぱりご縁が強いのは明王ということになりそうだ。
(今回は不動明王じゃないよ。不動明王の真言だったら、ここまであやふやじゃなかったはず)

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