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人と話すのが苦手な私の、失敗と喜び

人と話すのが苦手。自分の気持ちを伝えられない。相手からの言葉に苦しくなる。人と話すのが怖くなる。

そんな私が経験してきた、失敗と喜び。


自分の気持ちを、まずは自分で持つ

ある時、私の知り合いが落ち込んでいた。スマートフォンをなくして、恋人と連絡が取れなくなったそうだ。「結婚したいと思ってたのに、、」とのこと。

しばらくして、その知り合いに会ったら、「最近出会った人と結婚する」と言っていた。私も思わず「えっ、前に結婚したいって言ってた人はどうしたの? あっ、ごめん、今言わなくてもいいことだね。ええと、おめでとう」

私は、知り合いの気持ちに水をさしてしまったかもしれない。言わなくてもよかったことだ。

言葉は、コミュニケーションのための道具だ。相手に伝えたりお願いしたりするためのものだ。その準備として、自分の気持ちを整理する。

自分の気持ちを言葉にしたら、まずは自分の中に持っておこうと思った。

自分の意図を、明確にする

私が、チームメンバーのためにごはんを作ったら、メンバーが「これ、好きじゃないんだよな」と言った時。そのメンバーの意図は何だろうか?

ただ自分の気持ちを表現したい。
「自分はこれを食べないよ」と私に伝えたい。
「自分は食べないから、他のものを用意してほしい」と私に依頼したい。
もし最後の依頼なら、「今から別のものを作ってほしい」、「今はこのままでいいけれど、次から他のものを用意してほしい」。

どれかわからない。

自分の気持ちをただ言いたい、相手に聞いてほしい、相手にお願いをしたい。
自分の事として考えるなら、どの意図なのか、自分で明確にしてから、相手に伝えたい。

相手にただ聞いてほしい時は、はじめに伝える

数年前、私は母に伝えた事がある。「私が子どもの頃、母はこういうことをした。私はそれが嫌だった」
母は答えた。「だったら、どうしたら良かったの?」淡々とした声だった。
私は会話を終えた。もう言うまいと思った。

私は、ただ聞いてほしかった。「そうなんだね」と母に言ってほしかった。

話し始める前に「私はあなたにただ聞いてほしい」と言えたらよかった。

ちなみに、夫が言うには「ただ聞くって、難しいよ」。
そのとおり。私も聞く練習中。

その前提として、まずは相手を受け入れる

私と息子たちとの様子を見て、人がコメントをすることがある。
「すごいね」「たくましいね」「がんばってるね」
「もっと○○してあげたら?」「○○しないとだめだよ」「厳しいお母さんですね」

私をほめる言葉も批判する言葉も、どちらも嬉しくないと感じていた。
私は何て言われたら嬉しかったんだろう?

「そうしてるんだね」

息子たちと暮らす中で、いろいろ思うことがある。
こんな風にしたい。でも、全部はできない。だから、これを取ってこれは捨てて、こうしよう。
私が考えて編み出してきた方法だ。それが良い悪いと評価する前に、まずは私が考えて決めて試して見直していること。私にとって大事なのはそちらだ。そちらを見てくれたら嬉しい。

「あなたの評価を聞きたいわけじゃない」と反発する気持ちが出てきたのは、こういう理由からだったんだな。

この経験からわかったのは、私が受け入れられていると感じられなければ、相手がどんな良いアドバイスをしても、私には入ってこない、ということ。

これを逆の立場で言い換えると、まずは相手の状態を知ること。その上で、相手がアドバイスを受け入れられる状態か、自分で観察したり相手に尋ねたりして、判断する。アドバイスを受け入れられそうだと思ったら、伝えてみる。

でも、相手の状態を本当に受け入れる事ができたら、相手はそれだけで安心するだろう。もしかしたら、それだけで相手が自分で進めるようになるかもしれない。

私は、相手に喜んでほしいという気持ちから、何か有益そうなことを渡そうとする。
でも、受け入れることの方が、大事。そして、難しい。だから、するのだ。