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AIイラストが登場して以降の、絵を評価する基準について

今の私はピクシブも旧ツイッターも十年以上前に退会していて、他の人の絵に「いいね」をする機会も無いのですが、絵を見て好きか嫌いかを判断することは可能です。

昔は、自分の好みの絵には「いいね」して、好みでない絵はスルーしていましたが、今はとにかくAIかどうかを気にするようになりました。

画像生成AIが広まり始めたばかりの頃に大量に見た「なんか、あの、AIみたいな、ああいう感じの絵」なら、見た瞬間に「またこの絵かよ!」と一発で分かりますが、実際はAIもいろいろな画風の絵を出力できるので、中には手描きの絵と区別するのが難しいものもあります。

もしもAIだと見抜けずに「いいね」と思ってしまったら、大変な屈辱です。
これは、AIの使用の是非とか、議論されている問題点とか、そういったこととはまったく関係無い、私の個人的な感情です。

手描きで絵を描いていて、AIイラストに「なんだかなあ」と思っている人は一定数存在しますが、理論的に批判する人がいる一方で、理論はどうでもよくて「なんか生理的に嫌」という感情を持っている人もいます。

私は絵の練習を頑張れなかった人間だからこそ、練習して上手くなっている人を尊敬しています。どう考えても自分の手で描いていないAIイラストに好感を持てるわけがなく、嫌な理由はそれで充分と判断しました。

今の私は他の人の絵を見る時、AIっぽければ「AIだな!」と思い、AIっぽくなくても「もしかしたらAIかも?」と注意深く観察するという、昔とは全然違う鑑賞スタイルを身に付けてしまいました。

でも、昔だったら「全然好みじゃないな」と嫌っていた絵柄も、AIでさえなければ好感を持つようになったので、むしろ絵を評価するハードルは無駄に下がったかもしれません。

これは、絵に対する正しい評価とは言えませんが、AIの登場とそれによって発生した議論を見て、意識が変な方向に変わってしまったので、今はどうにもできません。

ただ、私はもう引退した身なので、面倒になれば考えるのを放棄して良いと思っています。もし、私が今も同人活動をしていて、この問題に物申している絵描き仲間も大勢いるような状態だったら、もっと真面目に考えるべきかもしれませんが、今の私はこの話題で騒ぐ必要の無い立場です。

でも、間違ってAIの絵を「いいね」と思ってしまうのは生理的に嫌です。


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