見出し画像

生きているだけですごくない?〜幸せにならなきゃいけないという呪縛に取り憑かれている人へ〜

SNSを開くと、キラキラとした近況報告や自分にストイックな友人達、やったほうが良さそうなライフハック術......。

「周りは幸せそうなのに自分は......」と思ったことはないだろうか。

特に自粛生活が続く生活では、リアルに人と話すことが少ない分、140字のつぶやきや、少し加工された素敵な投稿と自分を比べてしまう。

もちろん、誰しもが「幸せになりたい」という想いを持っているし、それに向かって努力することは素晴らしい。近くにそういう友人がいるなら見習うべきだと思う。

でも、「幸せにならなきゃいけない」と幸せになるべき論に押しつぶされそうな人がいるならば、そんなものは捨ててしまえばいいと思う。

もっと気楽に生きてみたら?今日はそんなひとりごとです。

時代によって変わる幸せな人生像

画像1

世間は身勝手だ。

十数年前までは、安定した企業に就職して穏やかな生活を送ることが幸せと言われていた。でも、数年前からは「好きなことで、生きていく」というYouTubeコピーが代表するように、一人ひとりが心からやりたいことをやっていくことが幸せと言われ、ここ最近は、日々の中で「小さな幸せ」を見つけていく「丁寧な暮らし」が幸せとされているように思う。

時代によって、世間の幸せ像は変わっていく。
たぶん、他人は悪気なく、人にその幸せ像を押し付ける。
もしくは、自分で「世間の幸せ像=自分の幸せ」だと思い込んでしまう。


この世間の幸せ像に合わせて生きていくのは結構大変だ。

自分が納得できれば、それで良くない?

画像2

私も、そんな「幸せにならなきゃ」という呪縛の中で生きてきた。
(その呪縛にとらわれていたのは私だけかもしれないけど。)

超安定した銀行に一般職として勤めていた7年間。シェアハウスのみんなからは「本当にそれがやりたいことなの?」「それで幸せなの?」と言われ続けていた。みんなは多分親切心から言ってくれていたと思うのだけど、そのときは少し責められているように感じていた。

今は転職をして、尊敬する人と働けているし仕事も楽しい。
周りから見たら「やりたいことを我慢して働く銀行員」→「やりたいことのためにチャレンジした人」と思われるかもしれないが、銀行で働いていた時には私は不幸だったのだろうか?答えはNOだ。

私自身、銀行で働いていたときも、周りに恵まれていたしアフター5は超楽しんで充実した生活をしていた。今も銀行に勤めている同期も、楽しそうに過ごしている。

銀行員=普通でつまらない、時代遅れ という声をよく聞くけれど、自分が良ければ、よいじゃないか。

転職だって「安定を捨てて転職しちゃったなんて可哀想」と思う人もいるだろうし、「安定を捨ててでもやりたいことがあったなんていいな」と思う人もいるだろう。

時代によっても人によっても幸せの価値観は違うから、結局は自分が納得していればそれでいいのだ。

幸せにならなきゃいけないと思っている人たちへ

画像3

まず、この超不安定な状況で生きているだけでえらい。本当にそう思う。
自分にもそう言ってあげたい。

もちろん、何かを目指している人はかっこいいし、目指すものがあるなら、努力をして上を目指すべきだ。

でも、周りの人やSNSの投稿と比べていつまでも「自分なんて......」と思っているなら、いつまでも心の奥がソワソワしているなら、一度立ち止まってみてほしい。逃げたっていいと思う。

「幸せにならなきゃいけない」と思うのは、辛い。
周りからキラキラした幸せな人生と思われなくても、自分が納得しているならそれでいいじゃないか。

自分を認めてあげて、「生きているだけですごい」と自分を褒めてあげてみてもいいんじゃない?

そんな深夜のひとりごとでした。寝よ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?