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日記、のようなもの #10  

2002/9/20

それを見たのは、たぶん一か月と少し前。二か月はまだ経ってないんじゃないかと思う。
やらなければならないことがあって、だけどなんとなく億劫で、ベッドに寝転んでだらっとスマホを眺めていたときだと思う。
Twitterを見て、友だちのブログを見て、またTwitterを見て、それでもやっぱり億劫なままで、noteをなんとなく見ていたとき。

「その日あった良かったことをノートに書く」

というのを立て続けに読んだ。別にそう言うのを探して読んだわけではなくて、たまたま読んだnoteのいくつかにそういうのが出てきたというだけの話。

それだけではあるんだけど、その日から私はノートにその日あった良かったことをつけ始めた。

ある人は、一日10個書くという。
別の人は、一日3個でいいという。
また別の人は、一日3個以上という。
どんな小さなことでもいい。今日は天気が良かったとか、いつもの道端に可愛い花が咲いていたとか、そんな何でもないことでいいから、良かったことをあげるのだ。

私は良かった探しは得意だ。というよりも、愚痴や誰かのことを、何かのことを悪く言うのが嫌だ。

たとえば、以前日本シリーズを見に行ったときの話。
私はソフトバンクホークスのファンでようやく日本シリーズのチケットが取れたのだが、その日はホークスは調子が今一つで負けてしまった。なかなかヒットが出ない。ヒットが出ても続かない。そうこうするうちに相手は着実に点を取っていく。
結局その日は負けてしまったのだが、負けたことよりももっと嫌なことがあった。近くの席に座っていたおじさんが、延々とホークスの選手や監督をくさし続けていたのだ、
なんでそんなところに投げるんだ。やっぱりあいつは打てない。なんでそんな球を振るんだよ。だからホークスは駄目だ。
典型的な、自分ができるわけではないのに選手のプレイや監督の采配に茶の間から文句をつけるおじさんだった。
確かにその日はホークスにはいいところがなかったが、その日、私たちの周囲が今一つ盛り上がらなかったのは間違いなくそのおじさんのせいだと、数年経ったいまでも思っている。

それは本当に嫌な体験だったが、同時に、自分はそんな悪い状況でも良い面を見ようとするタイプなんだな、という発見もあった。

100%良い人間はいないし、100%悪い人間もいない。
100%良いことはないし、100%悪いこともない。
人だって物事だって良いところもあれば悪いところもあるのが当たり前だ。だったら良いところを見たいと思っているし、今ではそれが当たり前になってしまった。

だから、その日あった良かったことを書くのなんて簡単だと思い、たぶん3つじゃ全然足りないから10個書くことにしたのだ。

が、実際にやってみたら大変だった。
確かに3つでは全然足りない。良かったことを考え出すと、あっという間に5個は埋まってしまう。
だがそこから先が大変だ。7個まではまだいい。それを超えると、良かったことを思い出すのが大変になってきた。
それでもなんとか10個見つけていたが、ちょっと忙しくなるとあっという間に崩壊した。10個うめるのに下手をしたら軽く1時間はかかってしまうのだ。ただでさえやることがたくさんあるのに、自己満足のために1時間以上時間を使うことはできない。

そうしてなし崩しに終わってしまった試みだったけれど、再開しようと思っている。

10個見つけるとしたらまたすごく時間がかかるだろうから、毎日3個良かったことをノートに書く。
でもやっぱり3個だと足りないと思うから、毎日3個以上、良かったことをノートに書く。

最初にnoteでこの話を読んだ時にやってみようと思った決め手は、作者の方の言われていた言葉が胸に刺さったからだ。
「毎日10個良いことを書くとしたら、10日書いたらノートに良いことが100個たまっている」
保存しているわけじゃないから、実際の言い回しは違うだろう。でも、要約すればそういうことだ。

思い立ったが吉日で、今日から私もノートに良いことを溜めていこうと思う。
最初の良かったことは「この日記のようなものが無事に10日続いたこと」。

私は三日坊主でいつも取り組んだことがいつの間にかなかったことになっているが、この「日記、のようなもの」は何とか10回目に辿り着いた。
これからもゆるゆるとのんびりと毎日続けていきたい。そして「良いこと」も少しずつノートに貯めていきたいと思っている。

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