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『あの本は読まれているか』感想

『あの本は読まれているか』ラーラ・プレスコット 東京創元社

アメリカとソ連の冷戦時代の、ドクトル・ジバゴをめぐるお話。
ドクトル・ジバゴはタイトルだけは知っていたけど、どんなお話かはまったく知らなくて、この本で初めて知りました。

この本は史実に基づき、CIAなどの記録でわからない部分をフィクションで埋めたお話。筋立てのとおり、ドクトル・ジバゴをCIAが対ソ連の情報戦略に利用したのは本当。ドクトル・ジバゴを描いたボリス・パステルナークとその愛人オリガに起きたことのあれこれの大部分も本当。おそらくは、オリガが送られた矯正収容所のあれこれも含めて。

そこに、記録ではあえて伏せられていた部分にフィクションを挿入することで出来上がったのがこの作品。

物語の多くは女性たちの視点で語られます。

オリガ、CIAのイリーナ、サリー、タイピスト。ごくまれにそこに男たちの視点が挟まれ、ドクトル・ジバゴ作戦は進行します。
文学の力で人々の心を変えることができる、という信念に基づいたこの作戦で、ソ連の民意を扇動できたかどうかはわからない。ソ連の共産党の支配下では、行動に出られた人は少ないから。でもさざなみくらいはたてられたかもしれない。やがて大きなうねりとなるさざなみなら。

パステルナークはドクトル・ジバゴでノーベル賞を辞退することとします。本位ではなく、圧力を受ける形で。
これはひとつには、当時のノーベル賞も政治的思惑にまみれていたからだろうと思う。
もちろん、ドクトル・ジバゴの内容そのものに対する評価も高かったから候補に上がっただろうけれど、政治的価値がなかったとは言い難い。
ソ連がいつまでたっても出版を許可しない、ソ連の作家が書いたドクトル・ジバゴ。ひそかに西側諸国に持ち出された原稿が出版され、西側諸国で話題を呼び、ベストセラーとなり、それをソ連当局は否定した。そのことに対する政治的思惑。そういう意味合いで、ドクトル・ジバゴに受賞させることに何らかの価値があったんだろうなと思うのです。
なので、ドクトル・ジバゴがノーベル賞を受賞した理由のどれだけがその政治的思惑だったかは評価されていないのかな、というのは気になるところ。いまでもノーベル賞は政治的思惑で決まっているなと思うことがあるので。科学的分野はまだともかくとして、文学賞とか平和賞とかは特に。
なので、頭から否定はできないけれど、全面的に肯定することもできない。

この作品は、そんな作戦のなかで翻弄された女性たちのお話です。
大戦中の方がむしろ才能ある女性たちがその才能を遺憾なく発揮できていた、というのがどこまで事実なのか、私には知りようもない。けれど、さもありなんと思う。
今は非常時だから、手が足りないから、できる人ができることをやる、という状態だったんじゃないかなと思います。
戦争が終わり、冷戦中とはいえ平和な時代になると、男性優位なんだろうな。男性優位に戻ったのか、男性優位になったのかまではわからない。ちょうどそのころはいろんなことが転換期で、世界が大きく揺らいでいただろうから。
そんななかで、性的倒錯者であることがばれたら男女問わず軍やCIAからは追放されていた時代に必死に生きている女性たちのお話。

読んでいる途中で切なくて、オリガが切なくてイリーナが切なくてサリーが切なくて、テディは頑張って幸せになってね、と思ってた。
そうして最後の最後、さらっと書いてあるところで安堵の溜め息をついたお話です。安堵だけじゃないなにか。……萌えと言ってもいいのか?
良き百合でした。

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