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日記、のようなもの #40 社会の歯車

2022/10/21

今日は午後からお休みをもらって美容院へ。
美容院に行くのは土曜の午前中が多いけど、ときたまこうやってお休みをもらって平日に行くことにしている。

というのも、前の職場ではそういうことをやりたくてもできなかったから。
前の職場はとにかく忙しくて忙しくて、上司も忙しくて部下に目が配れていなくて、私も同僚も(たぶん上司も)不満ばかりがどんどん増殖していた。
今はそういう意味では本当に恵まれていて、忙しいことは忙しいけど、最悪みんなで仕事を回して何とかなったりもする。
前の職場は、一人一人の仕事が明確に分かれていて、だから私が休んだら他の人は私の仕事を代わりにしようにもやり方もわからなければどこに何の資料があるかもわからない状態。
それだけ仕事の種類が多くて細分化している。ただし、ひとつひとつの仕事は確かに一人でも回せるような内容。

今の職場は仕事の案件がとても多くて、チームで割り当てを決めて同じ仕事をしている。だから例えば突然私が病気で休んだとしても、割り当てを変えて他の人が私の仕事をカバーできる。
そのぶん休みが取りやすく、ほぼほぼ希望どおりに休みが取れる。他の人と被りさえしなければ。

仕事の質が違うのだから一概には言えないけれども、私はいまの職場の方が断然いい。

まぁそれは単に好き嫌いの話であって、なかなか替えのききづらい前の職場のようなところの方が闘志が湧くという方もいれば、私のようにチームで仕事をする方がいいという人もいると思う。

ただ、替えがききづらいとはいっても、替えがきかないわけじゃない。

社会の歯車という言葉がある。
社会の歯車になんてなりたくない、というような文脈で、否定的に使われることが多いと思う。
だけど私は、この世の人はみんな社会の歯車なんだと思う。

ひとりひとりのつながりを見れば、たとえば夫婦、恋人、友人のような、そんな個人的なつながりのなかでは、誰もが替えのきかない人だ。
大切な家族、大切な友達、大切な恋人。誰かが誰かの大切な人だから、そこは替えがきかない。

でも、社会となると話は違う。
どんなに大きな仕事を成し遂げた人でも、どんなに豊かな才能を持った人でも、その人がいなくなっても社会は回っていく。
喪失感は大きくて、その穴を埋めるのはとてもとても大変だけれど、それでも世界は回っていく。
なんとかかんとか他の人たちが押し合い圧し合いしながら、なんとかかんとか回っていく。
回していかないといけないと思う。

もちろん、私もその社会の歯車の一つだ。

だから、私はその歯車のなかでも、よりよい歯車になりたいと思っている。
よりよいというのは、なんとかかんとか押し合い圧し合いしながら回っていく社会のなかで、なんとなーくでいいからするっと空いたところを埋めるような歯車になりたいと思う。
硬い鉄の歯車じゃなくてシリコンの歯車みたいな、周りにあわせて少し変えたり融通をきかせたりできるような、そんなふうになれたらいいなと思う。

私がときおり考える、社会の歯車の話。

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