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後悔

仲村が改めて絵を描きだしたのは、コロナ渦からだった。子供の頃から、アートや音楽や映画などにまつわることが好きだったのだが、それを無視してこれまでの社会人生活、無味乾燥を生きてきた気がする。

高校生の頃はバンドをやっていた。そこそこ真面目にやっていたのだが、思い返すと、ふざけたバンド名をつけていたし、とにかく、真剣に物事に向き合ったことがないのだな、おれは、と最近とくに仲村は思うのだった。

仲村の昔の友達では、それなりに成功している奴らが多い。これは不思議なことなのだが、会社を設立して成功したやつもいるし、アート業界で成功している奴もいる。そういうやつらにいえるのは、決まって、会社名やバンド名やアーティスト名がちゃんとしていることだった。会社名やバンド名やアーティスト名などは、基本的に最初につけることが多い。ちゃんとした名前を付けている時点で、本気でやろうとしているやつらなのだ。そして、その中の何割かが成功する。

仲村は、自分がいつも、そうした「本気さ」から逃げているということを心の底ではわかっていた。なんで本気さから逃げるのだろうと考えると、やはり、斜に構えたほうが、うまくいかなかった時のダメージが少ないからなのだろう。本気で、刺し違えるぐらいの覚悟で物事に立ち向かって、試行錯誤の末に何かを達成するということ自体を楽しめないから、人生が退屈なのだということに、49にもなってようやく気が付いた。

来年仲村は50になる。
社会的にはそれなりにやってきた。家族を作り、子供を作り、離婚せず、平和な日常を紡いでいるし、会社も何回か転職したものの、基本的にキャリアアップの転職であり、資産もそこそこある。だが、本気で楽しみながら立ち向かっていくことを、これまでやってこなかったという後悔は極めて大きい。極端に言えば、押しつぶされそうだ。

コロナ渦から、毎日1枚絵を描いたので、だいぶ絵がうまくなってきた。だが、この絵によって、自分が表現したいことを高らかに宣言して、マーケットにぶつけていこうという気概が持てるわけではなかった。それは年齢的なこともそうだし、そもそも性格的な部分である。本気でマーケットに立ち向かうという感覚を持てるのは、基本的に自分に自信があるかどうかと、楽観的かどうかだ。というか、人生を楽しもうという気概があるかどうかだ。

仲村は今日も一人、仕事の前に絵を描く。
それが何のためになるのか、まったく分からない。

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