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二元論はどっちもバッドエンド

 人気コミックの『進撃の巨人』が、ついに完結したそうですね。
 僕はまだ、33巻までしか読んでおらず、最終巻34巻の発売を楽しみにしています。

 ところで、この『進撃の巨人』は、ファンタジーの体をしながらも、我々読者に様々な警鐘を鳴らしてくれているように思います。
 今回のタイトルの『二元論はどっちもバッドエンド』というのも、そのひとつです。

 まずは元となる進撃の巨人のお話を紹介します。33巻までのネタバレが含まれますので、ご注意ください。


いかにもバッドエンドに向かう進撃の巨人

 物語の中核になるのはエルディア国とマーレ国。
 巨人の力を持つエルディア人は、その力ゆえに世界から恐れられ、迫害されます。
 過去には、戦争の歴史があり、報復の歴史があります。

 そこで、そんな負のスパイラルを断ち切って平和な世の中を作るべく、ジークとエレンはそれぞれの解決策を提案しました。
 しかし、2人の解決策は、全く正反対の提案なのです。
ジークは、
「世界が平和であるためには、我々エルディア人が滅亡するべきだ」
と考え、巨人の力を使ってエルディア人の生殖能力を消滅させようとします。
 一方のエレンは、
「世界が平和であるためには、世界にエルディア人しかいなくなればいい。それ以外の国を滅亡させるべきだ」
と考え、巨人の力を使って世界を滅ぼそうとします。

 作中の登場人物たちは、ジークに賛同するのか、エレンに賛同するのかで、2派に分かれて争います。
 平和を目指しながら、なんと仲間同士で殺し合ってしまうのです(とても平和を目指しているとは思えない残虐なシーンが多いですが。笑)。

 と、『進撃の巨人』とは、そのような物語です。
 ちなみに、実際にバッドエンドになるのか、それともハッピーエンドになるのか、それを知らずに僕は記事を書いています。ジークやエレンが、さらに1段深い裏の目的を隠しているような事情が、もしかしたら出てくるかもしれませんが、それがあるのかないのかも、現時点では僕は知りません。


「マンガの中だけ」と楽観視するなかれ

 さて、このようなストーリーを読んで、どう思いますか?
「滅ぼすか滅びるかの2択なんて、そんな究極の2択なんてあるわけない」
と思いますか?
「所詮はマンガ。マンガの中でどんなストーリー展開になろうが、それは作者が決めただけのこと」
と思いますか?

 僕はこの物語を読みながら、
「なるほど。この作者は、日本人が抱える問題を指摘しているのだろう」
という感想を持ちました。

 滅びるか、滅ぼすか。どっちに転んでもバッドエンドの二元論。
「そんな極論じゃなくて、もっとマシな落としどころは無いのか」
と思う人は多いはずです。
 しかし、エレンやジークに対しては、他人事のようにそう思っていても、現実の自分は、「オリンピック開催か中止か」とか、「緊急事態宣言を出すべきか否か」という二元論に、乗っかかってしまってはいませんか?

 これらの議論は、エレンとジークが抱える二元論と、ほとんど同じ構図です。
「オリンピックを開催すれば、会場は密になり、たくさんの外国人がやって来てコロナが蔓延するバッドエンド」
「オリンピックを中止すれば、最大1.3兆円というウワサの賠償金をIOCに支払わなければならないかもしれず、これまで努力してきた選手たちに報いることもできずにバッドエンド」
という、どっちもバッドエンドの二元論を今現在、我々は論じているのです。

「緊急事態宣言を出せば、またしても飲食店の倒産も増えれば自殺者も増えるかもしれないし、雇用もできなくなり、日本のGDPは下がってしまうというバッドエンド」
「緊急事態宣言を出さなければ、人々の往来が盛んになってコロナによって医療崩壊してバッドエンド」
というように、こちらも、両バッドエンド選択肢になっています。

 いま、ふたつほど例を挙げましたが、こういう極端な二元論は、今に始まったことではなく、過去たくさんあったと思います。
 「賛成か反対か」議論は、大抵その形をしているはずです。

 「両バッドエンドの選択」というのは、将棋で言うところの「詰み筋」に入った状態です。どちらに逃げても次の王手が来て、その後も次の王手が来て、延々と「両バッドエンドの選択」を強いられ続け、最後に「詰み」になるのです。

 進撃の巨人の世界観は、すでに詰んでしまった後の世界であり、今さら救いのない世界であるのかもしれません。
 我々の住む日本は、そんな世界にならないように、詰み筋に入らずに済む選択をしていかなければならない、という作者の強いメッセージを僕は感じずにはいられません。


二元論のどちらにも答えはない

 僕も若い頃は、白か黒か、ハッキリさせたいと思うタイプの人間でした。
 しかし、経験や年齢を重ねると、だんだんとわかってくるのです。白にも黒にも答えは無く、選ぶべきは灰色である、ということを。

 若い時には、「右か左か」と言われれば、そのどちらかを選ばなくてはならないと思うものです。提示された選択肢以外の答えに辿り着くことは難しいことでしょう。
 しかし現実は、右の道と左の道の間には、1°おきに180本の見えざる道があって、そのうちの1本が正解へと通じる道であったりするのです。

 その1本の見えざる正解ルートに辿り着くことは、とても難しいことです。
 何度もチャレンジして、何度も引き返しては道を選び直さなければならないこともあるでしょう。
 継続的に考え続け、悩み続けなければならないことでもあるので、大変苦しい道であるとも言えます。

 それがあまりにも苦しいので、人々は安易に「右」か「左」かの二元論に答えを求めてしまうのです。
 考える苦しさから逃れて、思考を停止してしまうのです。
 
「右ルートは明らかなバッドエンドだから」
と、消去法で左ルートを選択する人もいるでしょう。
 しかし、「どちらか片方が正解に繋がっている」という前提でしか、消去法は役に立ちません。両バッドエンド状況において、消去法で選択しても正解はないのです。

 たとえば「オリンピック開催か中止か」の議論の例としては、
「コロナウイルスが世界から無くなり、過去行ってきたとおりの熱狂的なオリンピックが開催できる」
という第1ハッピーエンドを望むことができない今となっては、
「オリンピックは中止にするが、賠償金は支払わずに済む」
といったところが、日本にとっての第2ハッピーエンドでしょうか。
 その第2ハッピーエンドを実現するためには、日本がオリンピック中止を決定するのではなく、IOCの判断で決定しなければなりません。
「開催都市、開催国は、何の不備もないほどオリンピック開催に向けて準備してくれたが、世界情勢を鑑みて、やはり中止という判断を私たちはしなければならない」
と、IOCが言わなければならないのです。
 そうIOCに言わせるための日本の行いは、
「たとえ中止を望んでいたとしても、考え得る最高のコロナ対策を実施した上で、コロナ被害を最小限に止める状況を作り上げ、開催国としての落ち度はひとつもない状態にして、IOCに判断を委ねる」
ということになります。その上で、
「IOCの中止判断によって、ここまで準備してきたことが無駄になったとしても落胆したり不満に思ったりすることなく、また逆に、IOCが開催するという判断をした場合は、それを最高の形で実現するために全力を尽くす」
という気構えを持っていなければなりません。

 どうでしょう?
 「中止」「開催」の2択だと思っていた時には「中止を目指して全力で開催準備をする」という選択肢には辿り着かないことでしょう。
 そして、この選択・この気構えをするには、相当な覚悟が必要であることもわかるでしょう。
 当然ですが、政治家や選手たちは、すでにその覚悟を持っているはずです。
 しかし、一般人がこの覚悟を求められるには荷が重いでしょう。
 だから、そこに答えが無いとわかったとしても、安易に2択に頼ってしまうのも、仕方のないことなのかもしれません。その結果、『進撃の巨人』の世界のような未来が待っていたとしても。

 と、作者の諌山創さんから、僕はメッセージを受けた気がしています。


八方塞がってからが本番

 若い頃は特に、隠された選択肢を見つけることが難しく、選択の幅が狭いのだと、自分の経験からも思います。
 右の道が塞がっていたら左の道に進んでみて、そこも塞がっていたら後戻りしてみて、そこにも答えが無かったら、たった三方しか確認していないにもかかわらず、
「八方塞がりだ!」
と思っていたものです。
 ただ、小学生が解くための問題ならばまだしも、現実の難しい問題に直面すると、その三方で答えが見つかることは、ほとんどありません。その後、考え続け、選択肢を探し続け、八方の塞がりを確認した後、九方目に正解を見出したりするのです。

 大きな成功を収めた偉人たちは、八方どころか、あるいは180方の塞がりを確認しているかもしれません。しかし、そこで諦めることなく、
「では181方目の調査に入ろうか」
と選択肢を探し続けられるからこそ、誰も見つけられなかった、181倍の価値のある正解ルートを発見できたのだろうと、僕は思うのです。

 仮に選択肢が提示されていたとしても、それ以外にもっと良い選択がないかと、考えてみてください。
 そうしている間に、どんどん可能性が見えてきて、視野が広がって行きます。
 具体的に自分の利益になることでなくても、
「どうして国や県は、あんなにバカな判断をするのか!」
とストレスに思っていたことが、
「ああ、なるほど!」
と得心することがあったりもします。
 考えを深めることが、心を軽くするための方法でもあるのです。

 そして、深く考えずに二元論に答えを求めそうになったときは、ぜひ『進撃の巨人』を思い出してみてくださいね。

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