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【香港🇭🇰「修養」日誌61】「テレビ局辞めて香港で何すんの?」という真っ当な質問に答えるならば @紅磡 20220728
夜のサッカー場に忘れた水筒を取りに行く 慌てることはなかったので海沿いの遊歩道をひたひた歩くことにした 日中あれだけ熱を運び続けた南国の風もやっとクールダウンし 汗ばんでいた人々も気化熱が奪われる涼感を味わっている 段ボールと台車で自作の移動テレビ台(時計台)を拵えたおじさんが舞っている 対岸では資本主義のネオンが光っている 波間に映る彩色 僕には関係ないけど綺麗だな 40歳になって香港に流れ着いた 自分なりの合理的な人生選択の行先でもある 幼少期に強烈なトラウマがあるわけ
【香港🇭🇰「修養」日誌60】快楽のために…脳内に「reminDO」埋め込み『スリー・ビルボード』を皮蛋醤油漬けにする @紅磡 20220727
久しぶりに日誌を書く 鬱だったわけではない そりゃ多少の躁鬱はある 躁で語り鬱で書く そうやって イビツに転がる多面体サイコロの自分を和らげてきた しかしこの2週間は躁でも鬱でもなかった ただただ勉強をしていた そういえば僕は今 働いていない そのことを時に忘れかける エピクロスは現実の煩わしさから解放された状態を「快」とし 人生をその追求のみに費やすという考え方を唱えた 「快楽主義」真っ只中である僕は 「ほだし」のない自由と孤独は 勉強して埋めるのだ 「reminDO」
【香港🇭🇰「修養」日誌59】「カツッ!シューッ!」青空を流れていく黄色いボールとイワナが棲まない岩山を見上げながら… @紅磡〜石硤尾〜黃埔 20220626日
6時起床 今日もどうか正直・親切・ご機嫌であれ 日曜朝の暗いうちからむくりと起きて 家族眠らせたままユニフォーム着込み グローブ担いで一人そっと玄関を出るワクワク 3ヶ月ぶりの「朝練」だ 未明の俄雨でグラウンドぐっちゃりでも おじさんたち意気揚々 肩回しながら「ベース周りの水溜まりさえ吸っちゃえば」「ぬかるみでダッシュしたら腰やっちゃうねぇ」「九龍公園プールが意外と若いお姉ちゃん多かったぜぃ」 懐かしい会話だなぁ 日頃スクールバス待ちながら奥様方から聞こえてくるのは 担任先
【香港🇭🇰「修養」日誌58】奥様は「アサヤム」…僕は“小田嶋ロス”を堪能しながら実名で「自由」を叫ぶのだ @紅磡 20220625土
午前6時起床 今日もどうか正直・親切・ご機嫌であれ スクールバスを見送った奥様方はどうやら「アサヤム」によく行くらしい 「朝から飲茶」である 飲茶レストランは朝7時から開いていて午前中は4割引とな 僕が水道橋博士の「アサヤン」の録画でニヤニヤしている裏で奥様方は「アサヤム」で小籠包と戯れていた (悔しいのでこっそり行った) “小田嶋隆ロス”真っ只中 遺作の小説『東京四次元紀行』をどれどれと拝読 《おとなしく見えることと、自分を制御できないというのは別のことだ。オレにはわか
【香港🇭🇰「修養」日誌56】“ガリガリくん日和”でもパパは“台風”をやり過ごす…「商業ポエムは」と批判するのも主語が大きいかしら? @紅磡〜佛光街遊楽場 20220623木
6時起床 今日もどうか正直・親切・ご機嫌であれ “ガリガリくん日和”が続く 「かき氷機」を買っても“採算”取れる気がする パーティーを催す口実にもなる 「流しそうめん機」のあるご家庭はそれだけでちょっと行きたい ついさっきまでご機嫌にうどんを啜っていたのに 宿題が面倒臭くて泣き叫び暴れる6歳 算数プリントをぐちゃぐちゃに丸めては広げて鉛筆を投げては拾って それでも引き算は少しずつ解かれていく 「パパどっか行って!」と追放されたので僕は隣室で黙ってじっと待つだけだ 轟音で唸
【香港🇭🇰「修養」日誌55】もう沢木耕太郎より斎藤幸平なお年頃…大停電の夜に「鴛鴦奶茶」でゆあんゆあん @紅磡 20220622
6時起床 「早朝 海はまだ静かだ」なのか「夜明け 九龍灣はまだ眠っている」なのか 描写に迷う 後者を選びがちだが無頼漢を気取る沢木耕太郎みたいで性に合わないのですよ “ハードボイルド”の対極にいるアラフォーとしましては 風邪気味で頭がどんよりする 日誌を書きたいのに 言葉を小分けにして保管している“脳内の薬棚” それぞれの引き出しに付いているはずの“小さな取っ手”が何故だか無くなっていて うまく言葉を引き出せない 中途半端なアウトプットは大抵「後の祭り」なので 体調のらな
【香港🇭🇰「修養」日誌54】「免疫ワンプレート」も「消えるお金」も「一人ぼっち」も…ぐちゃぐちゃですけど赦してね @紅磡〜黃埔花園 20220621
6時起床 今日もどうか正直・親切・ご機嫌であれ イオンのお惣菜だけで子供の弁当を作り 自分は水道橋博士リスペクトの「ぐちゃぐちゃ免疫ワンプレート」を堪能 生ニンニクこんもり 毒親ならぬ栄養親じゃ 『亡き父は晩年なぜ「ネット右翼」になってしまったのか』を読む 《父の中では、その美しかったニッポンに対する喪失感が、「それは何者かによって奪われた」「何かによって変えられてしまった」という被害者感情に置き換えられていた》《父は、その胸に抱えていた喪失感を、ビジネスに利用されたのだ