「奨学金を返す」と言ってみた

3192000円あったら、例えばMINIみたいな車が買えると思ってしまうのは僕だけなのか。ちなみに僕は持っていない。

その上で若者の車離れの主因は経済的なものだと仮定すれば、そのくらいの車を買った若者は、たまたま余裕があったか、いきおいで買ったものの追い込まれてしまった、という状況のどちらかで遠からずということでいいのかな。ま、とりあえずそういうことにしておこう。



3192000円とは僕が博士課程卒業時に返済する予定の「奨学金」の額である。ちなみに、僕はこの奨学金システムを知った上で申請して大学生活を維持できたので採用してもらって感謝している。ちなみに大学院に進んで受給期間が長かったりまた奨学金の種類によっては、もっと高額になることも結構あると思う。


この「奨学金」に関して雑談すると当事者と当事者でない方の認識の間にギャップがあることがある。次の2点はその例。


1. この話をすると、相手はこのシステムを知っていて「就職すれば年収でとんとんくらいだから別に気にしなくてもいい」と言われる。

これについては、就職したばかりの若者が例えばMINIを20年loan(融資)で買った即日事故って廃車にしてloanだけ残ったみたいな状態と言えば想像しやすいかもしれない。無利子でもけっこう精神的に圧迫される方も多いと思う。不安定雇用ならなおさらで貯金の額を伸ばすのはきびしいのだ。当然それ以降の人生プランにも影響しうる。もちろん余裕がある人は、別に気にせず次の車を買うんだろうけど。


2. 日本以外で大学生活した方に、「奨学金(scholarship)を返す」と言っても大方「??」となる。

「??」後の相手の反応としては、それはloan(融資)だよね、とか、僕が英語を1桁間違ったと思って「319200円?(1桁言い間違い?)」、と言ってきたりする。ちなみにそのたんびに、学生時代は使う機会があまりないだろう大きな額の英語表現について学ぶことになる。



まあそういうことで「奨学金」でなくて「融資」の方がわかりやすい。

現在、学校システムが強制的に大きく変化せざるを得ない状況で、それは多少なりとも「奨学金」のシステムにも波及するんだろう。誤解のない「奨学金」(scholarship) で教育が公平に行き届いた社会は楽しそうなんだけどな。


ここまで「よくわからん話だなー」と思った方は、まあ「結局この人はMINIがお気に入りなのね❣️」と思ってもらっても、まあ間違いではない。。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?