疑心暗鬼について考える

Generative AIを活用したコミュニケーションを運営する中で、そもそもの人間のコミュニケーションについて考えることがよくあります。コミュニケーションは、事実、アイデア、考え、感情を交換するものである、などとも言われますが、これらの情報はいつも対称的に交換されるわけではありません。お互いに交換した情報が非対称なことも多く、さらにその非対称性はお互いに理解が異なるままになることがよくあります。

特に感情的なものは非対称なことが多く、例えば、言った方はちょっと注意しただけだと思っていたが、言われた方は強く非難されたと感じる、などというのはよくあることだと思います。このような非対称なコミュニケーションが繰り返されると、段々と根深いネガティブな感情になっていきます。このような疑心暗鬼は、信頼とは真逆の気持ちであり、きっとできないだろう、きっとよく思われていないだろうなどという感情で良いことはありません。リスク管理のためにネガティブな結果を予想することはとても大事ですが、単なるネガティブな感情はチームや組織で何かをする上ではとても厄介です。そして何より、個人としてこのような感情にさらされること、自分自身が持つこと自体、全く良いことはありません。

疑心暗鬼を感じると信頼をベースにしたコミュニケーションが難しくなります。そして信頼が損なわれると、さらに疑いを基準にしたコミュニケーションになり、結果的にはさらに疑心暗鬼が深まっていきます。この負の循環を断ち切ることは非常に難しく、何か外的な要因や強いきっかけが必要になることがほとんどです。なぜなら、当事者同士で解決できているのであれば、そもそも負の循環に陥らないわけで、負の循環に陥っていること自体が解決できないことをほとんど証明しているからです。

一方、疑心暗鬼を完全にゼロにするのも難しいように思います。いろんなところでそのような感情を見聞きしますし、私が疑心暗鬼を持たれていることもあると思いますし、こんなことを言っている私自身も疑心暗鬼がゼロだとは全く思いません。

従って、疑心暗鬼をゼロにすることよりも、その存在を察知し、どうやって悪化する前に食い止めるかを考える方がより現実的かつ実用的だと思います。大体の場合、その存在自体を知ることで問題は半分以上解決できるので、異なる立場から疑心暗鬼を抑制する方法を考えてみたいと思います。

期待をする側から : 勝手な期待を抱かない

勝手な期待は疑心暗鬼がとても生まれやすい要因の1つだと思います。誰かに期待をもって何かをお願いし、もしそれが自分の想像していた結果にならなかった時のことを考えます。元々の自分の期待が勝手なものだったと考え、完全に自省できれば疑心暗鬼は生まれないかもしれません。ただ、他責の感情をもって責めるような態度で接すれば、相手は"あなたが自分に対してネガティブな感情を持っている"という疑心暗鬼を抱くことは全く不思議ではありません。

このような他責の感情を完全に消すのは非常に難しいと思います。言葉では取り繕えても、他責の気持ちは言葉の節々ににじみ出ます。少なくとも私にはできません。自省したとしてもどこかで他責の感情は残っているように思います。従って、完全に他責の感情を排除し自責精神を貫くことよりも、そもそも勝手な期待にならないことの方が大事なように思います。

ただ、勝手な期待を抱かないというのも簡単ではありません。ただ言葉で合意したからと言って避けられるものではないからです。言葉で合意したという状態は、第3者への説明はしやすいものの、実態として大した意味をなしていないことが多くあります。お互いの理解が十分ではないままに設定された期待や、不用意なプレッシャーによって不本意ながら同意された期待、そもそも相手自身が自分の能力を捉えきれずにYesと言ってしまったなど、様々なケースがあります。

期待が適切であるかは、その結果によってしか確認できないように思います。従って、はじめに設定された期待値を放置せず、日々のコミュニケーションと観察を通じて、実態に即するように微調整し続ける必要があります。期待と実態が合い続けていれば、期待する側もされる側も疑心暗鬼を持つ可能性を抑えることができます。

期待される側から : 能力の問題なのかやる気の問題なのか

期待と実態を合わせる行為は、何も期待を設定する側からのみできることではありません。期待を受ける側からも調整することができます。組織やチームで仕事をしていると、期待することも期待されることもあるはずです。両方の立場から調整できると、様々な状況において適切な状態を維持できます。

その最たる方法の1つは、期待する側の人に、自分(期待される側)のやる気と能力を説明することだと思います。よくある悪いパターンは、期待する側が、期待される側の能力の問題をやる気の問題だと誤解することです。

本当にやる気が問題なのであれば、環境を変えた方が良いと思います。ただ、やる気はあるが能力が足りていない状況にも拘らず、やる気の問題だと誤解されるのは非常に厄介です。やる気の問題だと誤解されると、それが疑心暗鬼に繋がり、本当にやる気が下がっていきます。単にやり方が分からないだけなのに、やる気がないなんて思われたら、もういいやと思ってやる気がなくなりますよね。

そこで、もし能力の問題をやる気の問題と誤解されていると感じたら、能力の問題であると説明します。能力の問題と書くとネガティブに聞こえますが、あくまで期待とのギャップのことです。未来の能力は決して否定されるべきではありませんが、現状の能力は冷静に捉えるべきです。他方、期待は簡単に無限大に広げられるので、現状の能力とのギャップはすぐに生まれます。

やる気の問題は解決が難しいですが、能力の問題は解決の幅が広いです。仕事を分配する、何かの手段で学ぶなど、建設的な方法が多くあります。従って、課題が能力にあると共通認識を持つことは解決に向けた大きな前進です。

能力の問題を説明するのは、何もメンバーからマネージャーへの説明だけではありません。逆にマネージャーの人ほど必要以上の期待を受けがちなので、自分の能力の問題を説明する効果が大きいと思います。さらに、マネージャーから能力の問題を開示すれば、メンバーの人も同じようにネガティブな開示をしやすくなるかもしれません。

私もやる気がないと誤解されていると感じたときは、自分の能力の課題をそのまま伝えます。がっかりされているかもしれませんが、できないことを隠しても仕方ないので、がっかりさせて申し訳ないと思いつつ改善していくしかないかなと思っています。がっかりされることを恐れるよりは、早く課題をクリアにして周りの人と解決方法を考えた方がより良い結果に繋がると思います。

第3者の立場から : 解決できる問題なのか、そうでないのか

最後に第3者の立場としてどうするかです。ピープルマネージャーの立場だとこのような場面に出くわすことは少なくないかもしれません。その際、一番重要なのは、解決できる問題なのかを見極めることだと思います。

冒頭に書いたように疑心暗鬼は負の循環に陥りがちで、一度その循環に入ると強い外的要因がない限り良い方向に向かうことが少ないように思います。また外的要因があったとしても良い方向に向かうまでに数か月、数年を要することもあります。

ネガティブな感情の程度が浅ければ、先に書いたようにお互いの誤解を解くことで解決できるかもしれません。しかし一定程度を超えると、誤解を誤解と受け入れるのも難しくなるので、お互いに関わらないようにするなど間接的な解決方法に切り替えた方が良いことが多くあります。

第3者としての自分の解決能力にも依存しますが、解決できるかを見誤ると余計に悪化させてしまうだけになることもあります。下手に介入して状況を悪化させたり、自分自身も疑心暗鬼を感じるような状況はよくありません。従って、解決できるのか、解決できない前提で考えるのか、何か行動する前に冷静に考えて、解決されるかもしれないという期待値と、自分の解決能力にギャップを作らないようにすることも大事です。

解決がとても難しいことに悩むより、むしろ、解決が難しくなる前に気づかなかったことを反省して、次回からどうやって早く察知するのか、その自省をするのがとても重要に思います。

まとめ

今回は疑心暗鬼について考えてみました。ネガティブなテーマですが、どの組織、チームにでも存在する普遍的なものだと思います。どこにでもあるがゆえに、自然にその感情から解放されることは期待しづらく、自分で積極的に解決することを考えた方が建設的です。

疑心暗鬼を持っていることをさらけ出せるぐらいになると相当に気が楽だと思いますが、それをするにはキャラクターを選ぶと思いますし、万人には難しいような気もするので、テクニックで対応していくのがよさそうです。

解決方法はここにあげたように、期待する側、される側、第3者の立場のそれぞれからアプローチすることが可能です。どの立場からでも解決できるようになると、その場の環境に左右されることなく、最大限、抑制することができると思います。

こじれた疑心暗鬼の感情は自分が持つことも、他者から持たれることも良いことはないため、なるべく自分でコントロールしていくと良いのではないかと思います。


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