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日本列島改造論と、今にもたらす示唆

最近日本列島改造論が日刊工業新聞によって復刻販売された。
50年前に田中角栄によって発刊された本著はこれからの国家のあり方がどうなっていくべきかというビジョンをあらゆる角度から記載している。

まず内容について簡単に要約した上で、今の時代と答え合わせしてみたい。

日本列島改造論で描かれた内容

日本列島改造論は、高度成長の中で生じた都市部の過密問題及び農村部の過疎問題、公害問題等を背景として、これらを同時に解決する政策の方向性を打ち出している。また、こうした経済成長に伴う社会の歪みを踏まえ、これからは「成長追求型」ではなく「成長活用型」の経済を目指すとして、社会福祉政策の充実や、国際社会での地位向上なども掲げている。

具体的には

  • 工業地帯の地方都市整備による人口の地域分散化

  • 新幹線網や道路網の整備による移動圏の拡大

  • 工場への公害防止装置設置の義務付け

  • 電力需要の増加に対して公害を低減する原発の設置

  • 農業の大規模化による産業強化

  • 世代間で支える社会福祉政策

などが示されている。
また今後の展望として以下のようなことも語られている。

  • 知識集約産業の展開(電気自動車、航空機、電子計算機、産業ロボット、ファッション産業、情報システム産業なども含む)

  • リニアモーターカーなどの普及による新幹線網の発展

  • 「情報ネットワークの整備」、「利用技術やシステムの積極開発」、「通信コスト引下げ」の3本柱による「情報列島」の実現

  • 第3セクターの功罪を踏まえた官民共創、役割分担のあり方の追求

政策の内容はおそらく当時の中央官庁が裏書きしたものだろう。既に50年前にはこうしたビジョンがあり、それらが国民に受け入れられ、本書は90万部以上のベストセラーとなった。

田中角栄のビジョンの答え合わせ

以下は本書で示されたビジョンに対する私の2023年現在の状況認識である。(あくまで私見)

  • 1970年(昭和45年)時点のGDPは73兆円だったのに対し、年率10%成長によって1985年(昭和60年)には304兆円の経済となると予想されていたが、実際の1985年のGDPは321兆円となっている。経済規模の予測はまさに予想通りとなっている。

  • 環境規制による公害防止は功を奏し、工場の公害防止規制、自動車の廃ガス規制、リサイクルによる資源活用等によって、実現された。

  • 道路整備や新幹線網、航空運輸の発達は人々の移動範囲拡大を達成した。一方でリニアモーターカーの実現は大幅に遅れている。

  • 工業地帯の地方立地による東京を中心とした都市部の人口集中の分散化は十分実現しなかった。一方でコロナ後はIT企業を中心にリモートワークによる分散化が少し進んだ。

  • 農業の大規模集約化による経営強化は、実際には十分進まず、耕作放棄地の増加や、担い手の減少が進んでいる。一方でスタートアップなどがこうした課題に挑戦し始めている。

  • 「情報ネットワークの整備」や「通信コストの引下げ」は一定程度実現したが、「積極的な情報システムの開発」は1990年代以降大きな遅れを取ってしまった。一方でここ10年でITスタートアップによるクラウドベースのサービス提供や開発手法の導入が進んだ。

  • 知的集約産業の中でもファッションやアートなどは国際的な評価は高まるも、ビジネスとしては稼ぐ仕組みが確立されず、ポテンシャルを活かしきれていない。電気自動車も取組みは早かったが、これを担う企業が既存ビジネスからの脱却にスピードがなく、海外の競合に後塵を拝している。ソフトウェアとハードウェアの一体化、それに伴う開発モデルの進化に対するキャッチアップが遅れている。

  • 少子高齢化に伴い、社会福祉政策の仕組みも度重なる見直しが繰り返されている。

  • 日本の国際的な地位は当時と比べ上昇するとともに、アジア経済圏等に成長モデルを示し、平和主義の拡大にも貢献してきたものの、国力の衰退とともに影響力が弱まってきている。

  • 官民のあり方については、民営化、PFIなどを通じて、民間企業の市場性に任せるべきところは任せていく流れは発展しており、今後民間企業やNPOからの提案に基づいた施策形成や行政組織自体に民間人材が採用され施策をより良くしていくという流れも生まれつつある。

上記ではざっくり当方の所感を書いたが、50年前にすでに展望として掲げられていたものがなぜ実現に至らなかったのか、というのは現代の状況を振り返り、どこに課題があるのかを考える手段として有効かもしれない。

なぜ日本列島改造論が国民に届いたのか

日本列島改造論がベストセラーになった理由としては、当時影響力を持つ政治家が国のあり方を書いた本として注目に値するからだというのが大きいと思う。
一方でそれ以降の現代の政府が打ち出す戦略等と何が違うのかをもう少し考えてみたい。

ひとつはその内容が考えているタイムスコープだと思う。政策等が今後3年くらい、長くても5年くらいまでの見通しを語ることが多いのに対して、本書は10年、20年先を見据えた未来を語っている。そこには足元の現実的な政策に即しながらも、こういった未来になってほしいという願いが読み取れる。どういった社会を実現したいのかのビジョンが見える点が、多くの人を惹きつけたと思われる。

2つ目は、国民の視点から、政策が社会をどう変わるのかを語っている点だろう。都市部の過密、地方の過疎化の中で両方の生活環境が悪化している状況をいかに解消し、人々が地域とのつながりを感じながら幸せに生きていくためにはどんな形で国土が利用されるべきなのか、という点をストーリーとして語っている点が共感を得られやすかったのだろう。
現在の国が策定する多くの戦略はこうした国民に直結するストーリー、その政策に対するWhyが見えにくいために、理解されにくい状況が多いと思われる。

3つ目は部分ではなく、全体のつながりも国民の目線で描かれている点だ。工業地帯の整備、地方都市の開発、中心都市と地方をつなぐ交通網の整備、エネルギーの供給、公害規制、こうしたものが部分ではなく全体として描かれることでそれが以下に人口の地方分散化と生活環境向上に繋がるのかをイメージしやすい。それぞれの政策は各省庁から出されたものかもしれないが、それらがどのようにつながって目標の達成に至るのかが理解しやすくなっている。

今、日本列島改造論的な議論をするなら

日本に生きる人たちはこの先、どのように生きたいのか、どのように生活できると幸福なのか。もし今からこの国のかたちを考える議論をするなら、そこから議論をスタートするべきかもしれない。

  • もし生まれた境遇に左右されず、自分なりの生き方を発見することを支援する環境が整っており、誰もが自分らしく生きられるとしたらどうだろうか。

  • もし仕事に追われず、子どもの成長を見守りながら生活できる環境を実現することで自己実現と子育てを両方充実させられたらどうだろうか。

  • もし年齢・性別による区別なく、自分の能力を適切に活かすことによって様々な世代との交流が促され、高齢者も若者も互いから学ぶことができたらどうだろうか。

  • もしリアル・バーチャル関係なく自分のコミュニティを選択することでえ、自分の居場所を見つけることができるようになったらどうだろうか。

上記は抽象的なレベルかつ、あくまで自分が考えた問いだが、こうした問いを作り、具体的な現状の課題、それに対応する政策の要素に分解していくと、どんな社会システム(ルール、ソフト、ハード)の整備が必要なのかといった点がより理解しやすくなるのではないかと思う。

1970年当時からの大きな環境変化による課題としては

  • 産業サプライチェーンのグローバル化インターネットの普及を通じた世界のフラット化、バーチャルな活動領域の拡張。これらによって国土のあり方だけを考えていれば良い、という前提も揺らいでいるように感じる。

  • インターネットの普及とグローバル化は結びついており、メディアの多様化と価値観の多様化ももたらされておりより合意形成が難しい社会となtっている。

  • 日本で言えば、少子高齢化や労働人口の減少といった点も当時とは違う点になるだろう。

  • 資本主義の発展による所得格差の拡大、これによってもたらされる教育環境の格差拡大も考えられる。

  • 国内インフラの老朽化、日本企業の経営システムの硬直化なども50年経ったことにより、過去積み上げてきたものが、現代で通用しなくなっている点として挙げられる。

こうした課題と対応して様々な政策が各省庁で既に考えられていると思うが、それらを全体として構造化して整理するとどうなるのか、特にその中でもインパクトの大きいものはどれなのか、その解決のためにはどういった施策が足りていないのか、ということを10年後、20年後というスパンで考えていくと現代の日本列島改造論的なものが作れるかもしれない。


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