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「変な家2」~11の間取り図~ 雨穴

本書は、信仰心を描いている。
家族のカタチが家(間取り)に表される。
11の話が紡ぎ、大きなストーリーを作り出している。

弱みを握り、それに漬け込む。
そうして芽生える信仰心は、教育にも通じる所があると考える。

洗脳(宗教)と教育の違いについて。
教育:内から引き出すもの
洗脳:外から注ぎ入れるもの
定義としては反対であるが、実態に大差ないと思う。先生が⚪︎を言えば正解であり、先生の思い通りに振る舞う事が求められる。

社会人も同じだろう。上司に媚を売り、取り繕える人が重宝される。また威圧的な上司には顔色を窺う様になり、ストックホルムシンドローム状態に部下は陥る。


知り合いの母が、娘の高校受験時に、入信したと聞いた。

救われたいから、信仰するのか。
救いを求める先は神でないといけないのか。
行き着く先は、身内でも友人でもなく、“教え”のある、これまでに縁の無い世界なのか。

神を信じると、様々な選択を放棄出来る。正解は神が教えてくれて、自身はそれに依存するだけ。

宗教勧誘する人達は、その勧誘行動により街から孤立する。そうして行き場を無くした選択権の無い彼等に教えを説き、宗教側が囲い込む。

持ちつ持たれつな相互関係が築ける。


弱みを握り、それに漬け込む。
それで且つ、距離を詰めてくる年齢2倍以上の上司(?)が私と同じ部署にいる。強い口調で人を否定し、「そこ迄言える俺最高」に入り浸っている。そこ迄言える貴方は、周囲から閃光の眼差しを向けられていると勘違いしているが、実際は全員ドン引きしている事をお知らせしたい。


さて今日はクリスマス。私の家の隣には、とある宗教施設があり、装飾がデカデカと飾られている。そこに、小さな車が入れ違いに所狭しと並び、老いた人々が阻塞さと出入りしている。その光景は段々出席人数が減る同窓会にも見え、誰かの葬式に集まる様な、丸く悲しそうな背中の集まりにも見える。

無論、信仰並びに宗教を批判するものでは無いが、誰かに罪償いを乞う姿こそ、実世界から離れ、実体の無い方が好都合なのかもしれない。片手片脚の有無は置いといて。

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