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忘れてはいけないものを残す、ということ

ご無沙汰しています。

10月から11月にかけて、色々なことが立て続けに起きて、怒濤のように過ぎていきました。楽しいこともあったけれど、やはり自分にとっては辛く、悲しい出来事が多くを占めていて、未だに心の整理が付いていません。

「自分」というものが崩されるような辛く悲しい出来事と、その重い事実を背負ってこれから生きていかなけばならないという現実を突きつけられて、何となく呆けてしまっているー「心」というのはやはりあって、そこに穴があいているのかな、と。

誰もが通る道であり、そういう人生の節目のようなものと、誰もが折り合いを付けて日々を生きているのだろうと思うのだけれど、やはりその衝撃というか、ダメージからはまだ回復できていなくて、心に空いた穴は、閉じたように思っても、まだ時折開いて僕を悲しみと虚無感に浸らせる。そして、自分よりもっと辛い立場に置かれた人のことを考えるに付け、人生の儚さと、そして尊さを感じずにはいられない。

でも。

人というのは上手いこと出来ていて、悲しみや苦しみは時間が経つと忘れられるように作られている。生理的に、きっとそうなっているのだろうー

ーあの日の故郷の空は、澄み渡っていた。美しい景色と目の前の現実との落差を感じながら、呆然としていた。ただ涙ばかりが流れてどうにもならなかった。

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そうしたことも、きっと忘れていく。忘れていけないことも全て記憶の彼方へ持っていってしまう。それが、人間というものなのだと思う。あの悲しみをいつまでも抱えていたら自分は壊れてしまうだろうから。

だからこそー

忘れてはいけないことはちゃんと書き残すということが、後々の自分のためにも必要な事なのだ。

きょう伝えかったのはそのこと。

職業柄なのかもしれないけれど「記録に残す」ことは思いの外大切だ。忘れてはいけない事を書き残す。忘れないために。これからの自分の人生に活かすためにー

日常の中に流れ流されていくと、自分の中に出来た空洞は何か別のもので埋められて、新しい自分が出来上がっていく。でもせっかくなら、出来た穴に埋めるものは、自分で選んでいきたいじゃないですか。

自分を揺さぶるような出来事をちゃんとせき止めて、自分なりに整理し、咀嚼し、今後に生かしていかなければならない。その作業は、決して楽しいものではないとは思うけれど、自分にとっては必要であり、避けては通れない大切な作業なのだと思う。

もって回ったような言い方になっていますが、今は詳しくは言えないこともあり。ただ、作業は進めていこう、という自分の中での決意表明、的な意味合いも込めてここに書き残します。

今回は、自分語りで失礼いたしました。
では、また。



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