【乳房にがん】1日目

2020/05/22

この日を私は忘れないだろう。

まさか、コロナで芝居が中止になる以上の個人的インパクトのある出来事が起きようとは。。。

母(あと8日で70)ががんになった。

や、正確には「がんと診断」された。

昨日、病院に目薬もらってくると外出し、帰宅するといきなり「もしかしたら癌かもしれない」と言い出した母。「驚かせて落ち込ませたくなかったから」との理由で、バイトの勤務後に伝えられた。(そして目薬は心配させたくないための方便だと)

「まさか、癌なんて」瞬時にそう思った。診断もされてないから大丈夫だろうと。なにより元気だし、ありがたいことにこのコロナ禍でも罹患せずに済んでいる。

去年の乳がん検診では、良性石灰化との診断だったから、石灰化の可能性もある。というかその可能性にかけたいと思った。

しかし、昨夜、風呂上がりの母が、ちょっと触ってと言った右乳房には、確かに、確かに硬いしこりがあった。

もっとしこりって申し訳なさげにいるのかと思ったら、びっくりするほどの存在感で、「はい!どーもしこりです!」と勢いよろしく登場した若手芸人の掛け声のような存在感を遺憾なく発揮していたのである。

触った瞬間、「これは癌だ」と思った。もはや本能であろう。本能で、癌だと細胞が伝えられたんだ。

そして、今日2020年5月22日、母はMRIを撮りに病院へ再び行くことになった。

私は今、リモートでバイトをしている。ありがたいことに自宅でPCを使ってバイトが出来ている。

しかし、今日は朝から最悪だった。PCが不具合をきたし、業務ができなくなった。ずっと自宅の回線の問題だと言われ1時間トラブルシューティングを朝の8時からした挙句、PCの問題でこれ以上は対処のしようがないからと、強制的に休みになった。

母は10時のMRIに向け、9:30に家を出た。朝からの私のトラブルを彼女の不安な心はどう受け止めていたのだろう。ただでさえ不安な中に不吉なことが起きたと写っていたのだろうか。

私はこんなトラブルが起きたから、きっと母は大丈夫だと、なんの問題もなく帰ってくると信じることにした。朝からのトラブルが悪いものを全て吸ってくれたんだと。

母を見送ると暇になった。

暇になった私は、部屋を片付けることにした。

というのも、近々家を出る予定になっていて、持っていく荷物を整理したいと思っていたからだ。

私は将来を見据えてパートナーと家を借りて更に人生を進めていこうと考えていた。だからこそ、断捨離といっても過言ではないくらいの処分と整理をして、迷惑をかけない状態にして家を出たいと、そのためにも部屋を片付けておこうと前々から考えていたので、急な休みはとても都合が良かった。

私の家は一戸建てで、地上2階と屋根裏(通称3階)がある。まずは3階から片付けようと、避難梯子のような収納式の階段を出し、好きなアーティストのライブDVDを流しながら作業をしていた。

ある程度ゴミといるものとを仕分け、ゴミを2階に下ろしたところで、玄関に母が自転車を止めた音がした。

帰ってきたと駆け出して、1階の玄関に向かうと、母が玄関口で開口一番

「がんだった!」

と言った。

まるで癌じゃなかったよ、というような高いテンションとピースサインをしたかのような素振り、そして笑顔で言い放った。

どんなドラマより劇的だった。

人は癌になるとこんなにも気持ちと裏腹な表現で伝えるのだろうか。

たぶん堪えきれない涙をどうにかしまい、震える方をテンションの高さで隠したんだろう。

明らかに母は泣いていたと思う。

「初期じゃないって」

さらに追い討ちをかける言葉が続く。

どこまでも明るい。明るく言おうとしているその姿が、痛々しくて、私の方が先に涙をこぼしてしまった。

こんなにも元気100倍!というキャッチコピーの似合う人間は他にいないだろうというようなエネルギーの溢れた母が、癌になっていたのだ。

これは確定らしい。石灰化という希望は脆くも崩れ去った。「がん」というフレーズは、なぜこうも瞬時に死と結びついてしまうのだろう。

父を糖尿病由来の腎臓病で亡くしているが、糖尿病は=死ではなかった。

でも、がんは=死なのだ。

「昔友だちに太ってると病気のリスク高いからねって注意されてたけど、ほんとだねー」と笑いながら話す母に

「わかってんなら痩せろよばーか」と軽口を叩くのが精一杯だった。

「そんな簡単に痩せれたら苦労しないよー」と帰ってくる。今後の流れを聞いて、疲れた母を労わろうと、ウーバーイーツで海鮮丼を頼んだ。

そして、海鮮丼を食べながら治療費や保険の話などを軽く話した。その瞬間、私の背中には「死」という存在がべったりと張り付いたのがわかった。

いずれ、かなり遠い将来来ると思っていたものが、予想だにしないスピードで私にひっついた。

そして、3階片付けは私だけのことだはなく、母にとっても残すべきかに方向性が変わっていった。

高校時代の写真の大部分は捨てても、家族写真は1枚も捨てられない。

几帳面にアルバムに格納する手間が一つ片付けに加わった。

そして、休憩代わりのお菓子タイムを挟んで、母にも片付けに参加してもらうことになった。

ほぼ3階は物置と化しているので、祖母から受け継いだお茶道具などが溢れている。ここは聖域と化していて、もう20年近く手をつけていない。

私では処分出来ないのもあり、また母の趣味である食器類で新居に持っていけるものは持っていきたいことを大義名分にして2人で片付けを始める。

途中で写真の束が出てくると母は手を止め懐かしみながら、私に見せてくる。

別に写真の整理をしていたら、そんなことは当たり前に起きることだろう。

でも、「癌」というキラーワードに浸食された今、それは懐かしむ以上に未来に向けた整理の意味合いが強くなっているように感じる。

夕飯後も深夜1時過ぎまで片付けを頑張る母。

彼女の中でも、片付けを頑張るモチベーションがいつも以上に高いのは「癌」という言葉のせいなのかもしれない。

2人でお昼に病気のことを話してからというものは、いつも通りの何気ない日常の景色だった。大きな変化はない。食べたご飯を美味しいといい、テレビを見て笑うという、穏やかで、本当に何も変化のない日常が淡々とながれていた。

でも内心は圧倒的に違う。

「癌」を告げられたことで、一瞬にして、刻限が母の頭の上にあるような感覚になり、すべてに意味合いがついてしまっている。

当たり前に過ごしていることに、いちいち理由が付いているように感じてしまう。

別に今の世の中、すぐに死ぬ病気ではない。ちゃんと治療すれば完治だって可能な病気じゃないか。そんなことはわかってる。でも、あまりのキラーワードに押しつぶされてしまうのだ。

今日からというものは、生にしがみつく1日1日になるだろう。1日でも長く行き、やりたいことを全部叶えるための日々に変容する。そして、1日1日を記憶に残していこうと本能が訴えてくる。

たった一言で1日がこんなにも変わって捉えられるなんて。

整理がつかなすぎて、でもこんな体験は小説よりドラマより演劇より圧倒的にドラマチック。

だから、日記という形になるのか、レポートという形になるのか、まだわからないけど、書き留めることで何か見えて、伝えられたらいいなと。

母一人娘一人の物語、どうか長いことお付き合いいただけるよう。日々を生きていきたいです。

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