スコットランドでのウイスキーの密造と,マルコム・ガレスピーという男

ウイスキーという酒類は,不良のお酒だと思うわけです.
スコットランドにはずいぶん昔から蒸留酒を造る技法が伝わっていたようですが,公式な記録としては1400年代末に残されているようです.
1700年代に入ってイングランドによる併合後,高い酒税や先住民の追い出しなどの事情がいろいろあるわけですが,北部ハイランドの人々は密造に精を出すようになったようです.その際に蒸留酒を樽に入れて隠していたことが,長期間にわたって樽熟成を施すウイスキーの特徴となったとも言われています.もちろん,保管や運搬のために樽を使うのは当然でしょうが,何年間もそのままにしておくというのは,密造に伴う隠蔽工作があったからこそだと思われます.
こういったわけで,教会で供されたり王侯貴族がたしなんだりした酒類のような,お育ちの良さは,ウイスキーにはないように感じます.

かつてのスコットランドでの密造について少し調べてみますと,知らなかったことがたくさんあって自分の無知ぶりを思い知らされます.外国で行われていた,こうした地下的なよからぬ活動については,外国に紹介されることがあまりないのだと思います.

さて,マルコム・ガレスピー(Malcolm Gillespie)という人物については,日本で知っている人はほとんどいないと思いますが,スコットランドのウイスキー関係者の間では,伝説の人物であるようです.ディジー・ガレスピーいう有名なトランペット奏者がいて,名字のつづりが同じですので,カタカナではこう表記しておきます.

1810年ごろのことですが,ガレスピーは,スコットランド北部のハイランド地方で,徴税員の仕事をやっていたようです.密造所や密輸の現場を見つけて差し押さえるわけですが,大変に実績は高く,ウイスキー約6,500ガロン,蒸留前の発酵したもろみ62,400ガロン,蒸留器407器、馬160匹,荷車85台を差し押さえたという具体的な記録が残っています.ちなみにガロンという単位はイングランドでは約4.5リットルですが,当時のスコットランドではその3倍ぐらいの量だったとのことで,なんだかよく分からず,身近な単位に直すのはむだな努力として,このままにして逃げておくわけです.とにかく大変な量なのでしょう.
そこまでやりますからには,けっこう荒っぽいこともやったようで,密造者にとっては悪魔のような存在だったはずです.
密造というと小ずるいユーモラスな反則行為をイメージしますが,当時のハイランドでは政府側も密造者側も命がけのことで,しばしば銃や剣を使った戦闘になったりもしたようです.ガレスピーも,密造酒を運んでいるロバに噛みつくようにあらかじめ犬を訓練してけしかけたりしていたそうです.激しい銃撃戦で傷だらけにされたり,農家の女性に「おまる」の中身をぶっかけられそうになっりたとか,いろいろ激しい逸話があるようです.

ただ,1823年に酒税が安く改正されます.政府側も,「蒸留酒を認める代わりに,税金はちゃんと納めようね」ということにしたようです.それ以降,密造は急速に減っていきます.
ガレスピーが,がんばり過ぎたのも一因かもしれません.差し押さえた規模に応じて報酬を得られる仕組みだったようですが,他の徴税員たちはその辺をずる賢く計算して,生かさず殺さずの加減をしたり,見逃す代償にウイスキーを頂戴したりといったけしからん仕事ぶりもしていたようです.
ガレスピーは,やがて食いぶちを失うこととなり,生活に困って手形の偽造に手を染めたあげく捕まります.厳罰が科され,1827年に死刑に処されたとのことです.

しかし,その後70年近くたって,スケーン(Skene)という町の教会にある彼のお墓を調べると,棺の中には砂利が詰められていて遺体はなくなっていたそうです.
一癖も二癖もあった人物のようですが,亡くなってからもなお人々を悩ませてくれているようです.

(ひろかべ)

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