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ランゲージアーツ(言語技術),反対事実と関連事実

ランゲージアーツ(言語技術)の世界を,今日も自由に探訪します。

書かれたものを読み解くことは,一面では単調なことのように思えて,よく考えてみますと実に多様で豊かな様相があります。

今回は「反対事実」と「関連事実」という概念で,探検してみます。「書かれていること」を読むことは,「書かれていないこと」を想像することだ,という視点が得られればと思います。


1 フェイクニュース,制脳戦(権),認知戦,etc…の時代

現下の世界では,いわゆるフェイクニュースが飛び交っていると言われています。国家をはじめ,さまざまな意図を持った主体(メディア,シンクタンク,企業,NGOその他の団体,あまたの個人)が,日々大量の情報を発信しており,その中には,意図的に事実と異なる内容を伝え,あるいは誤解させるよう巧みに偽装されているものがあります。

情報技術の進展(ネット環境やスマホなどデバイスの高度化)を背景にした認知への介入戦略は,政治・外交,安全保障の分野で近時とりわけ議論が活発化しているようです(土屋貴裕「ニューロ・セキュリティ 「制脳権」と「マインド・ウォーズ」Keio SFC journal vol. 15 no. 2(2016.3), 桒原響子 「「人間の認知」をめぐる介入戦略 ― 複雑化する領域と手段、 戦略的コミュニケーション強化のための一考察」ROLES REPORT No.12(2021.7))。

私たち一般市民は,情報解析のエキスパートでもなければスパイ養成学校にいたことがあるわけでもありませんので,ニュース報道やSNSで流れてきた情報について,その記載内容が事実であるのかそうではないのか,通常,容易には分からないという状況に置かれています。そのために,相反する事実を伝える報道などがなされると,とたんに途方にくれて不安を募らせるという状況にもなってしまいます。

こうした巨大な問題状況を前にして,これをさらっと解決する魔法のようなものがあればよいのですが,もちろんそうしたものが見つからないから,世界中で頭を悩ませ,どうにか知恵を絞って何とか切り込んで対応しているというのが現状です(国際的に有名な取り組みは,bellingcat)。

さてここでは,あくまでランゲージアーツ(言語技術)の視点から,書かれた文字情報に対象を限定したうえで,「反対事実」「関連事実」という言葉を使って,上記の問題状況への取り組み方を考えてみたいと思います。ごくささやかなものであり,取り組み方というよりは取り組み方の姿勢みたいなものかもしれませんが,何もしないよりは,やはり何かをした方がよいでしょう。


2 「反対事実」とは

まずは,「反対事実」の概念を理解したいと思います。
次の文を例に,説明してみます。*あくまで架空の例として捉えてください。

文1 マスク氏は,ツイッター社の買収を提案した。

この文1について,「反対事実」の文を作れば,次のようになります。

反対事実 マスク氏は,ツイッター社の買収を提案しなかった。

これは,端的に反対事実を記述するものです。「提案した」と「提案しなかった」という対比ですから,反対の事実が書いてあることは明らかです。

このように,「反対事実」とは,対象となる文の事実と両立しない事実である,ということになります。

しかし,反対事実は一様にしかありえないものではありません。次の例で考えてみましょう。

文2 大谷選手は,いま赤い帽子をかぶっている。

先ほどと同じように反対事実の文を作ると次のようになります。

反対事実1 大谷選手は,いま赤い帽子をかぶっていない。

しかし,次のような文も,反対事実の文であることになります。

反対事実2 大谷選手は,いま青い帽子をかぶっている。

赤い帽子をかぶっている状態と青い帽子をかぶっている状態は,両立するものではありませんので,反対事実ということになります。緑の帽子でも黄色の帽子でも同じです。つまり,反対事実は,一様の表現には留まらないということを確認しておきたいと思います。

以上を踏まえると,反対事実の文というのは,私たちがフェイクニュースなどで典型的に目にする形だということが分かります。ある側が「Aである」と主張し,他方が「Aではない。むしろBだ」という形で情報戦を行っているのは,頻繁に展開されている形でありましょう。

しかし,実は「反対事実」での情報戦は,いわば基本形です。


3 「関連事実」とは

事実に関する主張の対立という場面では,反対事実のみではなく,「関連事実」への視点が極めて重要になります。

「関連事実」とは,対象となる文の事実と関連する事情であって両立する事実,です。

先ほどの文1を使って考えてみましょう。

文1 マスク氏は,ツイッター社の買収を提案した。

まず,この文1に関し,「関連事実」となりうる事実は何か,ということを考えてみます。

定義上,関連する事情でなければなりません。当たり前のように感じますが,文1の事実と,「今日はよく晴れていている。」では関連性がありません。今日晴れていることと,マスク氏が買収提案したことは,確かに両立する事実です。しかし,関連性はないと言ってよいでしょう。

次に,両立する事実でないといけません。両立せずに矛盾する事実であれあ,それは反対事実です。もちろん,両立する事実というのも,それこそ無数にありうるわけですが,関連性の枠で絞っていくことになります(しかし,そうは言っても,「関連性」という範囲は極めて広く多様となりえます)。

以上を前提に,関連事実となりうる事実を考えてみますと,例えば,「マスク氏は買収提案をする前に,ツイッター社に対して同社の経営方針を批判ししていた事実」,「これに対してツイッター社が,方針変更はありえないと反論していた事実」,「ツイッター社からは取締役就任を打診されていたがマスク氏は拒否した事実」などが,「関連事実」として考えられます。
*前述しましたが,あくまで架空の事例だと思ってください。

こうした関連事実を加味して,文1を加工すると,例えば次のようになるでしょう。

文3 かねてよりツイッター社の経営方針への批判を公にしていたマスク氏は,同社に対して,同社の買収を提案した。

文4 ツイッター社から同社への取締役就任を打診されていたマスク氏は,これを断り,同社の買収を提案した。

「関連事実」を加えると,文1とはその様相が大いに異なってきます。文1は,あくまでマスク氏が買収提案したという事実のみが伝わってきますが,文3になりますと,何やらマスク氏とツイッター社との対決とその展開,という様相が印象づけられる文になりますし,文4であれば,対決姿勢という印象よりは,両者の関係性のあり方,その模索,という様相が伝わってくる文になります。

つまり,文1とは,読んだときに全く違った印象を受けることになります。文1のように書くこともできますし,文3や文4のように書くこともできる。そうであるのに文1と書いた場合,そこには,文1を書いた書き手の意図が含まれています(もちろん,文3や文4を書いたときにも同じですが)。


4 情報戦と反対事実,関連事実

以上,反対事実と関連事実について,その定義と具体例をいくつか見てきました。

さて,どうしてこんなことをしているのか。それは,反対事実には気付きやすいが,関連事実に気付くのは時に非常に困難であり,情報操作主体は,そこに目をつけているからです。

「Aです」と書かれていた場合に,「本当にAかな」「Aではないでしょ」と疑問を抱くことは,思考としては比較的簡単な部類に入ります。「A」という表現が目の前にあるからです。そのAを前にして,「not A」を考えることなので,思考経路として単純だからです。

しかし,「Aです」と言われて,「Cという事情を加味しないといけないんじゃない」とか,「Dについて触れられていないけど」,と反応することは比較的高度な思考の部類に入るはずです。目の前にないCやDという事情を想起する必要があり,それとAとの関係を考えるという,二段の思考を経る必要があるからです。

分かりやすい例で,上記を例解してみたいと思います。

文5(警察発表文) 昨日,中央広場で行われた市民の大規模デモ集会において,参加者の一部が暴徒化したため,警察は30名をその場で逮捕した。その際,警察官8名が負傷した。

反対事実,すなわち「not A」を考えてみましょう。
例えば,「市民は暴徒化などしておらず,警察が一方的に逮捕行為に及んだ」とか,「実際に負傷した警察官は8名ではなく2名である」,などが反対事実の例ということになります。こういう形式での争い方は,本当によくあります。

では,関連事実の観点,すなわち「Cは?」「Dは?」という視点で見てみたらどうでしょうか。

文5の警察発表文には,不思議なところがあります。
この警察発表が正しいとして,30名が逮捕されて,警察官8名が負傷する事態というのは,それはもう大騒動であり,現場はめちゃくちゃに荒れていたはずです。そうであるのに,負傷したのは警察官だけであるというのは,かなり不自然な気がします。つまり,不思議なところというのは,「市民側の負傷者の有無・数が書いていない」という点です。まさに,これが「関連事実」です。

市民側に負傷者が生じなかったのであれば,次のように書けばよいわけです。

文6(警察発表文) 昨日,中央広場で行われた市民の大規模デモ集会において,参加者の一部が暴徒化したため,警察は30名をその場で逮捕した。その際,警察官8名が負傷した。市民には負傷者は出なかった。

このように書くことができるのに,文5のように書いた点に書き手の意図が込められている,悪く言えば透けて見えるのです。あるべき関連事実が書かれていない,そう気づくことが重要です。


5 対処法

明確に意図して,「関連事実」を書いていない場合があります。その場合は,いわば情報操作であり情報戦における攻撃です。

しかし,むしろ深刻なのは,通常の報道機関などが無意識に「関連事実」を落として書いてしまうことのような気がします。

では,どうして書くべき「関連事実」を落としてしまうのか。
前述したように「関連事実」に気付くことは高度な思考に属することが一つ,また,「関連事実」は多様で広範囲にわたるので取捨選択が困難であることが一つ,さらには,文字数の制約などの物理的な問題もあるでしょう。

それでは,私たちはどう対処したらよいのか。

まずは,「書かれていない事実があるはずだ。必ずあるはずだ」という姿勢で情報に接することだと思います。書かれていることには目が行きます。しかし,「重要なのは何が書かれていないかだ」,という思いで情報に向き合うことで,多くの気づきが生まれてくるはずです。

次に,「思考枠組」のようなものを日々養っておくことが大事だと思います。これは,典型的には歴史や文学,実務経験などを通じて形成する,認識の「型」のようなものです。Aという事態の発生には,Bという背景があり,Cという事件を併発するのが常で,Dという変数が予想に反して介入し,Eという結末に至る,というような「型」です。こうした型があると,「Aにあたる事実については書かれているけど,Bにあたるべき事実には一切触れていない。おかしいな」と思うことができます。

ランゲージアーツ(言語技術)の視点からの一提案です。



【参考文献】
エリオット・ヒギンズ『ベリングキャット -デジタルハンター、国家の嘘を暴く』(筑摩書房,2022)
*オープン・ソース・インベスティゲーション。ネット時代におけるその起点となるべリングキャットの歴史,手法と実績を創設者自身が語る下記は,現下の情報戦を知るうえで貴重です。




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