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メモ

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個人的メモ書き.
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◆何かをするとキズつくが、大事なことは(できればなるべく早く)立ち直ること。さらに言えば「良くキズつくこと」であり「良くキズから回復すること(良い回復により、より賢くより強くなる)」、つまりキズの受け方と立ち直り方。その最も良いのが、(実生活以外では)文学を深く読むことだと思う。

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◆「きっと、とめどない概念の流動への恐れが私たちを定義好きにする仕組みと、レベルはちがうが妙によく似た事情がそこにある。安心感への願望が、さまざまな諷喩としての書物を書かせ、読ませる」(佐藤信夫『レトリックの消息』185頁)。ナラティブではなく物的論拠ある安心をどう与えるかが焦点

◆「類似とは、言うまでもなく、類としては同一であり種としては相違しているということである。そして類と種の上下・左右の関係は相対的である」(佐藤信夫「隠喩と諷喩と書物」『レトリックの消息』162頁)。

「類似」について、このような視覚的で動的に捉える定義をみると嬉しくなる。

◆個別の諸相に普遍をみる、という思考スタイルの私にとって有難すぎる書籍が発売された。

神山重彦『物語要素事典』国書刊行会,2024年
https://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336076458/

神山重彦先生の最終講義
https://www.agu.ac.jp/news/file/2020011201.pdf

◆総選挙により、新分節議会ないし新分節政治と呼ぶべき高度の集中力を要する世界に突入した。諸項の理 logic を見極め切り結びながら創発の政治となるか、あるいはブレない言い切り・強硬姿勢・信念を貫く頑迷さで停滞と混迷に沈むか。単調な論理を乗り越えて、悠然たる視野で創造する政治を。

◆法技術原理(渡邉雅子)と同様の思考に馴染んでいるからか、変奏曲 Theme and variations に好きな曲が多い。普遍的なものが多様に変奏されて顕現している様を感じることで、大きな秩序感とともに、汲み尽くせない無限の内包の可能性を予感させるからであるような気がする。

◆『「論理的思考」の文化的基盤』(渡邉雅子)の思考表現の4スタイルからすると、私の思考は法技術原理だと思う(もっともイランのエンシャーにおける神と法には違うものを置いているが)。故にA→B→A´のダイナミクス、範型・事例比較や類推、レトリック(佐藤信夫の)が親和的となるのだろう。

◆共感は重要な価値であるが価値の一つに過ぎず、最上位のものではない。共感偏重の人は己心の家に他人を同居させるようなもので、共感できず同居できなければすぐに敵や異邦人となる。だから共感傾向の人の優しさ思いやりと意地悪さ冷酷さはとてもよく両立する。全体観に共感を位置付ける必要がある。

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◆文章を書き、文章を読み解く人にとって、渡邉雅子先生の著作は必読だと思う。

「論理的思考」の文化的基盤
https://www.iwanami.co.jp/book/b631492.html
*学術書

論理的思考とは何か
https://www.iwanami.co.jp/book/b652403.html
*新書なので一般向けと期待(予約受付中)

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◆事件は起きない方がよいとは思うが起きざるを得ないというものがあり、その代表がガリレオ裁判やソーカル事件。ソーカル事件は学生のころに知ったが、いたく感銘を覚えた。ノーベル賞ウィークなので、発端の学術誌編集者がイグノーベル文学賞を受賞したこの件を思い返すのも意味があることだろう。

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◆飛行機が離陸するときのあの力動感が好きなのは、そこに人類の積み重ねられた英知と技術と勇気を感じるからである。同様に、キケローの弁論やシェイクスピアの戯曲、夏目漱石の小説を感じ取ることによる歓びは、営々と積み重ねられてきた人々の知恵と情熱と技芸の見事な結晶点をみることに発する。

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◆政治家の演説の質や裏金議員の処遇等が話題となっている。しかし一体何を驚き嘆く必要があるのか。すべては炙り出されている。そのうえ選挙が目前にあるのだ。40代のキケロー「カティリーナ弾劾」(キケロー選集3)の炎の弁論に学び、全候補者の人物像を鋭く見抜きゆけばよい。

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◆ネットが普及しAI時代などと呼ばれはじめ、知識はいつでも手に入るのでクリエイティブな能力が重要だなどという甘言に、とりわけ若い人は絶対に騙されてはいけない。可能な限り広大で自在にし得る高質な知識を身につけ、最大限の経験・体験をして、輝く金剛のような知を磨きに磨いて欲しい。

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◆(つづき) これを近代以降の日本に敷衍すると(単純な図式化に陥る危険もあるが)、①古来の神道・ヤマト文化、②外来の儒教及び仏教、③近代原理、ということになるだろうか。これら三極の矛盾衝突・緊張調和の取り組みは混迷を続け、いまだ深みある切り結びに至っているようには思われない。