見出し画像

音楽放浪記 8 The Flipper’s Guitar 前章

暑い。しかし暑い暑い言っていてもはじまらないから始めよう。

 思いつきでなんか、面白おかしくかけそうだなぁといろいろ調べてみた。
 本当はThe Flipper’s Guitar(以下 彼ら)について個人的な『出会い〜衝撃〜学び〜今に至る』
みたいな感じで書こうと考え、先にもあるように
珍しく時系列を確認したんですが
もう、まったく無理!
そこで路線を変更し、時系列のみで関係を(ないんですが)再確認してみました!

私は1971年7月生まれ現在53歳です。
1989年彼らが1stリリースした時18歳
(個人的に)マイ1st punkインヴェンジョンの只中 笑
雑誌『宝島』などでレビューを見た記憶は微かにあり。
聴けなかったわけじゃないようでしたが
リアルタイムで、どこかのライブハウスで前身のバンドなんて観てたらどう思ったんだろうな…
1990年彼らが2ndリリース
私は19歳。当時花屋さんでアルバイト
有線から「恋とマシンガン」が流れてきて
びっくり‼️
ただpunkだけと思えば
そんなこともなく尾崎豊そして岡村靖幸にも
どハマりしていたわけで恥ずかしい!
いや、恥ずかしいのは、その節操のなさ。
彼らにどハマりする前年・前夜17歳のボクがいた。
1989年7/14『岡村靖幸/靖幸』が一足先にリリース
博幸青年のハートを鷲掴み!
パンクと一緒に好きになったらイケナイコトカイ?
話しを戻しますね。
花屋さんをやめて(話しが通じるか不安ですが)
次に初めたアルバイトは
『レンタル・レコード店』でした。
そこで彼らの2nd『Camera Talk』を拝聴したことによって彼らが、心のベストテン第一位に!
そのタイミングからラジオ番組『マーシャンズ・ゴー・ホーム』や宝島の連載『フリキュラ・マシーン』などを、まさに狂ったように追いかける毎日に。
1991年『ヘッド博士の世界塔』は
新星堂横浜ポルタ店にて
生まれて初めて予約して
7/10開店と同時に入店・購入し
そのままアルバイト先のレンタル店で
繰り返しBGMとして流し他のアルバイトの皆様に
嫌な顔された思い出が残ってます。

そう言えば
そこまで調べてませんが
とんねるずの『ねるとん紅鯨団』のスポンサーが
ミズノで告白タイム前のCMで「ブルーシャイニン・クイックスター」が使用されていて嬉しかったです。
と言いつつ『ねるとん』も大好きだった
博幸青年本当恥ずかしい!

そんなこんな
彼らと自分の時系列で俯瞰してみました。
音楽性や国内外のシーンえの影響などは
まったく無視してみましたが
個人的には、なんかスッキリいたしました。
皆様も本当にお暇なタイミングで
確認するのもおすすめです♪

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?