伊邪那岐の遺書15
それから涼子さんは、何度もわたしに会い来てくれました。
あなたは、それからもわたしについてあまり彼女に教えようとはしなかったのですね。恥ずかしい妹ですものね。
涼子さんは何度も真剣な顔をして、兄さんには内緒にしてねとお願いしてきましたよ。
そのころ部屋が急にきれいになったり、わたしが一人で買い物に行って新しい服を買ってきたりと、あなたはびっくりすることが多かったかと思います。それは、実は彼女がいっしょに行ってくれていたからなんです。
料理も新しいものが増え、味もおいしくなったのは、こっそり涼子さんが教えてくれていたからだったんですよ。
はじめのうちは、涼子さんと接することにとまどいがあったけど、彼女から漂ってくるせっけんの香りと微笑みを拒絶できませんでした。
しかし、一人の女性として涼子さんに憧れはするものの、いざ彼女があなたと結婚を望んでいることを思うと、胸が苦しくなりました。怒りや憎しみはわかないものの、いままで感じたことのないような嫉妬や劣等感に襲われました。
あなたが、いつ彼女の存在をわたしに伝えるのか、毎日怯えるように過ごしていました。
「那美子、じつはお前に大事な話があるんだ」
ある夜、いつもより早めに帰宅したあなたからそう告げられたとき、動揺を隠すのにわたしがどんなに必死だったことでしょう。
しかし、あなたが伝えたのは、もっとひどいことでした。
「最近、体調がよくなってきたみたいだな」
「ええ」
あなたはそのとき知るよしもなかったでしょうが、涼子さんと過ごす時間がわたしの精神を回復に向かわせているのは確かでした。
「もっと良くなるためにさ」
あなたは仕事用のカバンから、一冊のパンフレットを取り出し、わざとらしく微笑みました。
「仕事で知り合った人から教えてもらったんだ。ここでしばらく療養してはどうだろう」
そのパンフレットの表紙には、海が見える白い建物の写真がうつっていました。あなたは施設の説明を曖昧にしながら、きれいなところだろうと、写真の載ったページを開いて差し出しました。
わたしはパンフレットを受け取り、見るともなくめくりました。
青い空に海が覗めるベランダ、森林浴ができる庭園、色彩豊かな花壇。気持ち良く深呼吸をしたり、楽しそうに談笑する人々。
そこは、心に病気をもち、社会生活ができなくなった人々が静養する施設のようでした。
住所は行ったこともない、遠い町になっていました。
伊邪那岐の遺書16
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