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伊邪那岐の遺書⑨

 その結果なのかどうかわかりません。
 数日後、あなたは病み上がりのわたしよりもさらに蒼白な顔で帰宅しました。肌は乾燥し、視線は生気を失って、言葉もほとんど発しませんでした。
「体調が悪いの?」
 わたしが尋ねると、あなたは首を横に振り、背中を丸めて部屋の隅に座りこみました。
「仕事で何かあったの?」
 あなたは面度くさそうにまた首を振りました。
「友達とけんかしたの?」
 今度は何も反応しませんでした。
 反対側の隅に腰を下ろして、わたしはあなたを見守りました。
 やがてそんなわたしに気を使ってか、あなたはか細い声で言います。
「信用していた人に疑われたんだよ。一人の男としても、認めてもらえてなかった」
 悪魔に祈りが通じたのでしょう。
 それだけで充分にあなたの落ち込んでいる理由が想像できました。
 わたしは前髪で顔が隠れるようにうつむきました。あなたもうなだれていたので、二人はしばらくの時間、部屋の両角で同じような格好をして座っていました。
 こんなことを書くと気分を害するかもしれませんが、あなたが生きる気力を失った陰鬱な表情をしているのに比べ、わたしは笑っていました。
 あの女とは終わりになったというのが、嬉しくて仕方ありませんでした。声こそ出しませんでしたが、前髪の裏には、喜びではちきれんばかりの歪んだ顔がありました。
「そんなに辛い顔をしないで」
 気を利かせた悪魔が、わたしの背中を押したのでしょうか。膝をたてて、畳の上を滑るように、わたしはあなたに近寄ります。
「兄さんには、那美子がいるわ」
 わたしはあなたを抱きしめました。
 あなたは逃げるように腰を引きましたが、のしかかるようにして、あなたから離れませんでした。
 もう気持ちが押さえきれなくなっていたわたしは、たしかこんな風に繰り返して詰め寄ったかと思います。
「好きなの、愛しているの、心の底から」
 たとえ世界中の誰もが兄さんを見捨てようとしても、わたしだけはそばにいる。兄さんの隣で兄さんのためだけに生きる。もし兄さんが死んでしまったらわたしも生きてはいけない。それほどに兄さんを愛してしまったの。だから、だからどうかわたしを抱いて。今晩だけ、わたしを女として愛して。
 胸をはだいて、両足をからめて、わたしはあなたにしがみつきました。
 あなたはしばらくは耐えるようにじっとしていたけれど、やがて、ゆっくりと受け入れてくれましたよね。
 あなたは、体勢を入れ替えて馬乗りになり、部屋の明かりを消しました。  
 暗闇の中、わたしたちはひとつになりました。
 あなたは、わたしの乳房を激しく回しては摘み、わたしの肌に唇を這わしては濡らしました。そのたびにわたしは、初めて味わう女の悦びに歓喜しました。
 あなたはすべてが終わったあと、すまなかったと謝りました。あのときも言ったけれど、謝る必要なんて一つもなかったんですよ。
 すべては、わたしが望んでいたことだったんですから。
 あなたが悔やんだり、罪の意識を持ったりする必要などまったくありません。
 でもあなたは、それからもわたしを抱くたびに同じように謝りましたよね。わたしは求められるたびに愛される至福を感じ、望んだことは何でもしてあげたと思います。

伊邪那岐の遺書⑩
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